寺門静軒(てらかどせいけん)
妻沼に両宜塾(りょうぎじゅく)を開き、大里で没す 1796~1868年
雲外桂筆「寺門静軒」肖像画 |
寺門静軒の墓(冑山) 熊谷市指定記念物 史跡 昭和54年5月14日 指定 |
両宜塾跡:妻沼地内 (熊谷市指定記念物 史跡) |
両宜塾 昭和57年7月2日撮影 |
江戸小石川水戸藩邸内に生まれる。江戸時代の儒学者。江戸駿河台に克己塾を開いて子弟を教育し、著書である「江戸繁昌記」がベストセラーとなったが、風俗を乱すものとして江戸追放となり、各地を流転。奈良・四方寺の吉田家などに寄寓しながら、安政6年に妻沼・歓喜院に入り「両宜塾(りょうぎじゅく)」を開きました。塾の名前の由来は、「私はこの家を得て宜しく老い、学ぶ者は私を得て宜しく学ぶべし」との静軒の言葉から「両宜」を取って命名しました。両宜塾では、荻野吟子(日本の女医第1号)、志方鍜(大審院判事)、土宜法龍(仁和寺第36世門跡、高野山管長)、稲村英隆(第38世歓喜院院主)、五渡などの多くの著名人を輩出しました。
その後静軒は、慶応元年(1865)に両宜塾を弟子の松本萬年に引き継ぎ、一人娘マチの嫁ぎ先である冑山の根岸友山の招きに応じ、根岸家に移りました。途中、熊谷の石上寺に寄寓して数か月間講義を行いました。その時の塾生には、竹井澹如、石川弥一郎らがいます。根岸家では、邸内の三余堂で、友山の息子武香をはじめ近隣の有志を集めて講義を行いました。慶応4年(1866)3月に病に倒れ、邸内の終焉堂で没する。
娘「マチ」の夫三蔵(雲外桂)は、静軒の一枚だけ遺された肖像画を描いています。
妻沼八景詩画幅:歓喜院蔵 (熊谷市指定有形文化財 書跡) |
旧三余堂(小八林春日神社境内) |
めぬま郷土かるた
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年表
和暦 | 西暦 | 出来事 |
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寛政8年 | 1796 | 水戸藩大吟味方寺門弥八郎勝春の次男として江戸小石川に生まれる。 |
文化4年 | 1807 | 父母が死去したため、母の実家河合家で養育される。 |
文化13年 | 1816 | 上野寛永寺の勧学寮に入り、儒学と仏典を修得し、諸国に遊学する。 |
文政8年 | 1825 | 江戸駿河台に、私塾「克己塾」を開設する。 |
天保2年 | 1831 | 武州秩父に旅行。『江戸繁盛記』執筆開始する。 |
天保3年 | 1832 | 『江戸繁盛記』初篇出版する。 |
天保5年 | 1834 | 『太平誌』1.2集出版する。 |
天保6年 | 1835 | 『江戸繁盛記』最初の筆禍にあう。 |
天保8年 | 1837 | 武州冑山根岸家で易経を講義する。『静軒一家言』出版する。 |
天保9年 | 1838 | 『静軒詩鈔』成立する。 |
天保12年 | 1841 | 『江戸繁盛記・青楼之巻』出版。野州桜町に二宮尊徳を訪ねる。 |
天保13年 | 1842 | 出版取締りの罪を受け、武家奉公御構に処され、江戸を追放され武州を放浪する。 |
天保14年 | 1843 | 上州を放浪の後越後に至る。 |
弘化4年 | 1847 | 青梅の小林天淵のために筆塚銘を撰文する。 |
嘉永2年 | 1849 | 沼津深沢家に滞在する。『静軒居士寿偈誌』を自撰する。 |
嘉永5年 | 1852 | 武州・上州を放浪し、秋に武州児玉浅見家に滞在する。 |
嘉永6年 | 1853 | 春に下総崎房村秋葉家を訪問する。 |
嘉永7年 | 1854 | 娘マチが武州冑山根岸三蔵(友山の弟)に嫁ぐ。『江頭百詠』成立する。 |
安政4年 | 1857 | 武州に旅行。『?肩瓦棗』出版する。 |
安政5年 | 1858 | 越後に旅行。秋より新潟に滞在する。 |
安政6年 | 1859 | 『新潟繁盛記』成立。春に新潟を立ち、加茂、塩沢、渋川など上州を経て武州に来訪する。 |
万延元年 | 1860 | 妻沼来訪。両宣塾を開く。 |
万延2年 | 1861 | 妻沼の諸家と詩会を催す。 |
文久2年 | 1862 | 『江頭百詠』(克己塾蔵版)を出版する。 |
文久3年 | 1863 | 『静軒文鈔』成立する。 |
慶応元年 | 1865 | 葛和田の舞原家に新婚の祝歌を贈る。熊谷市指定有形文化財 書跡「寺門静軒書扇面の詩」 |
慶応2年 | 1866 | 春に上州境町へ旅行する。 |
慶應3年 | 1867 | 上州館林へ旅行。妻沼より熊谷へ移り、石上寺で数か月間講義し、その後冑山根岸家に移る。 |
慶應4年 | 1868 | 根岸家邸内の三餘堂で講義を行っていたが、3月4日終焉堂にて没す。 |
文献
書名 | 著者名 | 出版社 | 出版年 |
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静軒戯墨 | 寺門静軒 | 刊 | |
江頭百詠 | 静軒居士/著 ; 村田和子節, 武衛恒士産/校 |
[18--] | |
江戸繁昌記 6巻 | 寺門静軒 | 刊 | 天保3-7 |
太平志.巻1 | 寺門静軒 | 刊 | 天保5序 |
太平志 2巻 | 寺門静軒 | 刊 | 天保5序 |
静軒一家言 | 寺門良 | 刊 | 天保8刊 |
静軒詩鈔 | 静軒居士[著] ; 行山岡田威士恭, 秤堂三木權子謀[編] |
天保9[1838]序 | |
江頭百詠 | 寺門静軒 | 刊 | 嘉永3序 |
・肩瓦嚢 | 寺門静軒 | 刊 | 安政4序 |
新潟富史 | 寺門静軒 | 刊 | 安政6自序 |
江頭百詠 | 寺門静軒 | 刊 | 文久2. |
静軒文鈔 | 寺門静軒/著 | 須原屋茂兵衛等 | 明7序 |
静軒痴談 | 寺門静軒 (良)/著 ; 市川清流/校 |
文昌堂 | 明8.1. |
江戸繁昌記 | 寺門静軒 (良)/著 | 稲田政吉 | 明10.11. |
静軒詩撰 | 寺門静軒/著 ; 小谷田重範/編 |
小林繁三 | 明15.1. |
新潟富史 | 寺門静軒/著 | 高橋新吉 | 明22.10. |
評釈江戸繁昌記 | 寺門静軒/著 | 聚栄堂 | 大正10. |
江戸繁昌記 | 寺門静軒/著 ; 佐藤進一/訳 |
春陽堂 | 昭和4. |
江戸繁昌記:校訂.上 | 寺門静軒/著 ; 北沢二郎/校 |
雄山閣 | 昭14. |
江戸繁昌記瞥見 | 岩本素白 | 1955.10. | |
寺門静軒--「無用之人」の軌跡 | 前田愛 | 1965.07. | |
寺門静軒 | 永井啓夫/著 | 理想社 | 1966. |
永井啓夫著「寺門静軒」 | 前田愛 | 1966.05. | |
寺門静軒の「江戸繁昌記」 | 松島栄一 | 1967.03. | |
永井啓夫著「寺門静軒」 | 野口武彦 | 1967.05. | |
江戸繁昌記 | 寺門静軒/著 ; 佐藤進一/訳 |
三崎書房 | 1972. |
江戸繁昌記.1 | 寺門静軒/著 ; 朝倉治彦, 安藤菊二/校注 |
平凡社 | 1974. |
『日本随筆大成第2期 20』 静軒痴談 |
寺門 静軒/著 | 吉川弘文館 | 1974. |
江戸繁昌記.2 | 寺門静軒/著 ; 朝倉治彦, 安藤菊二/校注 |
平凡社 | 1975. |
江戸繁昌記.3 | 寺門静軒/著 ; 朝倉治彦, 安藤菊二/校注 |
平凡社 | 1976. |
寺門静軒の無用者意識とその思想 | 杉本章子 | 1978.02. | |
江戸繁昌記 | 寺門静軒/原著 ; 竹谷長二郎/訳 |
教育社 | 1980.03. |
太平志 | 寺門静軒/著 | 太平書屋 | 1980.12. |
『熊谷人物事典』「寺門静軒」 | 日下部朝一郎 | 1982. | |
江頭百詠 | 寺門静軒/著 | 太平書屋 | 1984.04. |
『埼玉史談第37巻第3号』 寺門静軒P29~31 |
佐藤 繁/著 | 埼玉県郷土文化会 | 1990. |
上野 寺門静軒「江戸繁昌記」 | 高橋圭一 | 1990.08. | |
江戸繁昌記の世界: 寺門静軒と爛熟期の江戸 特別展 |
寺門静軒[著] ; 水戸市立博物館/編 |
水戸市立博物館 | 1996. |
江戸繁昌記:寺門静軒無聊伝 | 佐藤雅美/著 | 実業之日本社 | 2002.09. |
新潟冨史:新潟繁昌記 | 寺門静軒/著 ; 新稲法子/訓読解説 |
太平書屋 | 2004.05. |
江戸繁昌記:寺門静軒無聊伝 | 佐藤雅美[著] | 講談社 | 2007.04. |
『埼玉史談第54巻第2号』 寺門静軒覚書P25~33 |
佐藤 繁/著 | 埼玉県郷土文化会 | 2007.07. |
『埼玉史談第55巻第3号』 寺門静軒覚書11~20p |
佐藤 繁/著 | 埼玉県郷土文化会 | 2008.10. |
『埼玉史談第56巻第2号』 寺門静軒覚書3 21~25p |
佐藤 繁/著 | 埼玉県郷土文化会 | 2009.07. |
『熊谷市郷土文化会誌』第72号 「根岸友山・武香父子と三人の学者」 -寺門静軒/安藤野鴈/E・S・モース-P27 |
鯨井 邦彦 | 熊谷市郷土文化会 | 2016.11.01 |