根岸友山(ねぎしゆうざん)
文武両道の教育に尽力 文化6年(1809)〜明治23年(1890)
根岸友山墓 埼玉県指定記念物 旧跡 昭和15年3月31日 指定 |
根岸家は江戸時代の豪農として栄え、幕末期の友山は、16歳にして家督を相続し、名主となって村政を行いました。そして自邸内に「振武所」という剣術道場と「三餘堂」という寺子屋を開き、国学者の寺門静軒を招き、子弟の教育に尽力しました。
しかし荒川の堤防普請で、役人の不正を正すためにいわゆる「蓑負騒動」に加担し、厳罰を受けてしまいました。しかし村人の信頼厚く、安政6年(1859)には赦免され、子弟教育を再開しました。
また友山は長州藩と親交があり江戸藩邸に招かれることもありました。幕末には、尊王攘夷論者であった友山は、浪士組(後の新撰組)に一時参加しましたが、隊の中の意見や主張の相違から途中で分かれ帰郷し、その後は村政に尽力しました。
平成27年くまがや郷土かるた
年表
年号 | 西暦 | 関連事項 | 時代背景 |
---|---|---|---|
文化6年 | 1809年 | 11月24日、生まれる。幼名は房吉。 | |
文政7年 | 1824年 | 16歳で家督相続。甲山村名主となり、信輔と改名。 | 荒川大洪水 |
伴七を襲名。 | |||
文政10年 | 1827年 | 19歳で比企郡小川村の笠間さわと婚姻。 | 文政の改革 |
天保3年 | 1832年 | 父信保没す。 | |
天保4年 | 1833年 | 地理直し御普請なる。この頃三余堂開塾。 | |
天保6年 | 1835年 | 甲源一刀流の目録を受け、「振武所」を開設する。 | |
後北辰一刀流千葉周作の指導を受ける。 | |||
天保8年 | 1837年 | 寺門静軒、三余堂で講筵 | |
天保10年 | 1839年 | 蓑負騒動起こり、奉行所の吟味を受ける。 | |
天保12年 | 1841年 | 江戸十里四方追放刑。友山甲山を去る。 | 天保の改革 |
安政2年 | 1855年 | この頃から甲山村へ帰村。 | 安政の大地震 |
この年以降、昌平の学生が交互に来訪する。 | |||
安政6年 | 1859年 | 熊谷宿の百間出し堤による洪水被害に対し、訴訟が起こる。 | |
万延元年 | 1860年 | 長州藩と密約する。 | 桜田門外の変 |
文久2年 | 1862年 | 熊谷宿との百間出し訴訟和解なる。 | 坂下門外の変 |
文久3年 | 1863年 | 狼士組に参加し上京、東下して新徴組に参加するが、脱退、長州藩との合体を模索 | |
元治元年 | 1864年 | 権田直助らと討幕の挙兵を企てる。 | 第一次長州征伐 |
慶応2年 | 1866年 | 武州一揆、根岸邸を襲う。 | |
慶応3年 | 1867年 | 吐血論を書く。 | 大政奉還 |
明治元年 | 1868年 | 官軍に捕縛される。寺門静軒没す。 | 明治維新 |
明治2年 | 1869年 | 名字帯刀を許される。 | |
明治4年 | 1871年 | この頃、神道普及。胄山村民を神葬祭に。 | |
明治11年 | 1878年 | 妻さわ没す。享年67歳。 | |
明治21年 | 1888年 | 漢詩集『田園雑興』を出版。 | |
明治23年 | 1890年 | 11月24日、不例就床。12月3日没す。(享年82歳) |
エピソード
〈長州藩との密約〉
当時の江戸の政治情勢は大変悪く、いつ何時、何があってもおかしくない情勢でした。そこで長州藩は一大事が起こった時のために、世子や婦女子を逃がすために、友山と物産交易を隠れ蓑にして助力を要請しました。これは友山が尊王攘夷論者であったことや、その人柄が信頼に足る人物であったということが大きな要因であったと言えるでしょう。
〈友山の政治・文筆活動〉
浪士隊を離れ帰郷した友山は、村政に力を注ぎましたが、世の中の政治思想に対しても自己の主張を発言しました。中でも「吐血論」は友山の尊王攘夷論をまとめた書物として写本が広まり、喝采を浴びたということです。また明治新政府にも献策を行い、廃藩置県に関する建白書や、関東の治水事業を献策した「治水表」など、多くの提言を行いました。
文献
書名 | 著者名 | 出版社 | 出版年 |
---|---|---|---|
1根岸家諸記録 | [江戸末期-大正] [写] |
||
田園雑興 | [根岸]友山/著 | 根岸武香 | 明22.11. |
帝国図書館所蔵冑山文庫和漢図書目録 | 帝国図書館 | 1935. | |
近世史料所在調査報告2 根岸家文書目録 | 埼玉県立文書館 | 1967. | |
近世末期における地方豪農の動向について-- 武蔵国大里郡甲山村根岸友山の場合 (1970年度大会特集・幕藩制の崩壊と関東-2-) |
秋葉一男 | 1971.04. | |
近世末期における地方豪農の動向について-- 武蔵国大里郡甲山村根岸友山の場合 |
秋葉一男 | 1971.04. | |
武蔵の豪農と尊攘思想-- 大里郡甲山村根岸友山の場合 |
沼田 哲 | 1980.04. | |
『熊谷人物事典』「根岸友山」 | 日下部朝一郎 | 1982. | |
前田愛著作集 第4巻 (幻景の明治) | 筑摩書房 | 1989.12. | |
根岸友山と根岸武香 | 根岸友憲 | 1998. | |
(展示図録)第1回収蔵文書展 根岸友山と武香 | 埼玉県立文書館 | 1998. | |
『立正大学地域研究センター年報第22号』 根岸友山と根岸武香 |
立正大学地域研究センター/編 | 立正大学地域研究センター | 1999.01. |
(特別展示図録)根岸友山・武香の軌跡 | 大里村教育委員会 | 2002. | |
新選組銘々伝 第4巻 | 新人物往来社/編 | 新人物往来社 | 2003.10. |
宮瀧交二「大里町冑山根岸家の「蒐古舎」について」(埼玉県立博物館『紀要』第29号) | 2004. | ||
特別号郷土の偉人 根岸友山とその子武香 会発足十周年記念 |
大里町歴史研究会 | 2005. | |
根岸友山・武香の軌跡 : 幕末維新から明治へ | 根岸友憲 監修 ; 根岸友山・武香顕彰会/編 |
さきたま出版会 | 2006.05. |
(展示図録)吉見百穴と東日本の横穴墓 〜埼玉考古学の幕開け〜 |
埼玉県立さきたま史跡の博物館 | 2007. | |
『幕末維新埼玉人物列伝』 根岸友山256〜263p |
小高 旭之/著 | さきたま出版会 | 2008.07. |
根岸友山・武香のあゆみ | 根岸友山・武香顕彰会 | 200=. | |
根岸友山・武香顕彰会創立十周年記念誌 | 根岸友山・武香顕彰会 | 2012. | |
『熊谷市史研究 第6号』 明治初期における武蔵の「好古家」根岸友山と武香(上)-上中条村出土の埴輪と黒岩村横穴郡の発掘を中心に-P34 |
重田正夫 | 熊谷市教育委員会 | 2014.03. |
熊谷市史調査報告書第一集 冑山根岸家資料報告(1) 一考古資料・古瓦− |
熊谷市教育委員会 | 2015. | |
熊谷の偉人「根岸友山」と 熊谷県令を務めた「揖取素彦」との交流 |
くまがや商工会大里支所/編 | くまがや商工会大里支所 | 2015.04. |
『熊谷市郷土文化会誌』第72号 「郷土の偉人 根岸友山とその子武香」P7 |
斎藤 重朗 | 熊谷市郷土文化会 | 2016.11.01 |
『熊谷市郷土文化会誌』第72号 「根岸友山の「江戸十里四方追放」をめぐって」P15 |
重田 正夫 | 熊谷市郷土文化会 | 2016.11.01 |
『熊谷市郷土文化会誌』第72号 「根岸友山・武香父子と三人の学者」 −寺門静軒/安藤野鴈/E・S・モース−P27 |
鯨井 邦彦 | 熊谷市郷土文化会 | 2016.11.01 |
根岸友山関連の「根岸家長屋門」保存修理工事報告書はこちら(PDF:6.47MB)からダウンロードできます。
金子兜太 句碑
熊谷市指定文化財「根岸家長屋門」(熊谷市冑山152)脇に建てられている金子兜太氏の句碑。
「
根岸家長屋門の前にある桜が咲き誇る季節に屋敷の高台から東を望むと、その春霞の先に姿を現す筑波山と、新たな時代へと踏み出した根岸友山を対比し、春のうららかな日和を感じる中で、屹立する友山の姿を表現したものです。
平成28年3月造立。