井田友平(いだともへい)
ポマード王 1889〜1965年
(『旧妻沼町要覧』より)
昭和10年頃の「メヌマポマード」(江南文化財センター蔵) | 現在の「メヌマポマード」 (『旧妻沼町要覧』より) |
めぬま郷土かるた
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政界への情熱
友平は政界にも関心を持ちました。
昭和5年(1930)、本所区会議員となり、同9年(1934)には同区会議長となります。同8年(1933)からは、3期東京市(都)会議員を務め、同19年(1944)には同参事会員、同20年(1945)には警視庁警務委員長を歴任しました。同21年(1946)5月、埼玉県第3区に日本自由党から出馬、当選して第一次吉田内閣時の参議院議員となりました。
故郷妻沼への想い
友平は、居を東京に構えながらも、常に思いを故郷妻沼に寄せていました。
昭和32年(1957)、弥藤吾新田の居宅を妻沼町へ寄付、現在「井田記念館」として整備され、住民の文化高揚の場として活用されています。同35年(1960)には石造書庫を役場に寄付しました。
また、同39年(1964)、私財1億円を拠出して「財団法人井田育英会」を設立。郷里の後輩の育英に力を注ぎました。現在に至るまで多くの奨学生がこの恩恵を受けています。
名誉町民第一号を讃(たた)えて
こうした友平の功績を讃えて、昭和32年(1957)には、聖天山境内に井田友平先生頌徳(しょうとく)碑が建立され、賛助員は211名を数えました。同33年(1958)には、郷里弥藤吾で井田報徳会を結成、氷川神社に胸像(現井田記念館)が建てられました。
昭和34年(1959)、妻沼町は「名誉町民条例」を制定し、同35年全会一致で友平を名誉町民第一号に認定しました。
友平は、昭和40年(1965)、脳血栓で倒れ、10月31日に76歳で没しました。
胸像 | 井田記念館 | 頌徳碑 | ||
年表
和暦 | 西暦 | 月 | 出来事 |
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明治22年 | 1889年 | 3月 | 17日、弥藤吾村(現熊谷市弥藤吾)に父井田定吉・母フクの長男として生まれる |
明治33年 | 1900年 | 3月 | 妻沼尋常小学校弥藤吾分教場(現福寿院)卒業 |
明治37年 | 1904年 | 3月 | 妻沼村外八ヶ村組合立幡羅高等小学校卒業 |
明治37年 | 1904年 | 4月 | 上江袋能泉寺塾にて戸田英龍和尚につき、漢学等を学ぶ |
明治39年 | 1906年 | 3月 | 上京し、石けん雑貨行商の見習いとなる (17歳) |
明治43年 | 1910年 | 3月 | 東京本所緑町(現墨田区)に井田京栄堂(資本金37円)を設立 |
大正6年 | 1917年 | 5月 | 本所区緑町2丁目に工場建設。メヌマポマードの製造・販売開始(28歳) |
大正12年 | 1923年 | 9月 | 1日、関東大震災に被災 (34歳) |
大正13年 | 1924年 | 3月 | 京栄堂卸部を弟幸八郎の井田両国堂に移譲 |
昭和2年 | 1927年 | 3月 | 大阪東区和泉町に支店開設 |
昭和5年 | 1930年 | 3月 | 本所区会議員に就任 |
昭和6年 | 1931年 | 東京都墨田区立川2-10-7に工場新設 | |
昭和8年 | 1933年 | 東京市会議員に就任(3期、〜昭和18年6月) | |
昭和9年 | 1934年 | 3月 | 本所区議会議長に就任(〜11年1月) |
昭和16年 | 1941年 | 6月 | 紺綬褒章受章 |
昭和18年 | 1943年 | 9月 | 東京都議会議員に就任(〜昭和21年4月) |
昭和19年 | 1944年 | 東京都市会議員参事会員に就任 | |
昭和20年 | 1945年 | 3月 | 戦災により工場・店舗焼失 |
昭和20年 | 1945年 | 警視庁警務委員長に就任 | |
昭和21年 | 1946年 | 3月 | 千代田区富士町の仮営業所で生産を再開 全国に代理店制度を設ける |
昭和21年 | 1946年 | 5月 | 日本自由党より埼玉県第3区に出馬、衆議院議員に当選(第1次吉田茂内閣時・57歳) |
昭和23年 | 1948年 | 「株式会社メヌマ」に改組、取締役社長に就任 東南アジア、沖縄、太平洋諸島に輸出開始 |
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昭和25年 | 1950年 | 2月 | 東京都化粧品工業会副会長に就任 |
昭和27年 | 1952年 | 5月 | 東京都化粧品工業会長に就任 (63歳) |
昭和29年 | 1954年 | 2月 | 墨田区立川の工場跡に新工場及び事務所新築 |
昭和32年 | 1957年 | 弥藤吾の居宅を妻沼町に寄贈、移築(後の井田記念館) | |
昭和32年 | 1957年 | 11月 | 井田友平頌徳碑、聖天山境内に建立、撰文衆議院議員石坂養平 |
昭和33年 | 1958年 | 1月 | 弥藤吾の有志が井田報徳会を結成、友平胸像を建立 |
昭和35年 | 1960年 | 3月 | 21日、妻沼町名誉町民第1号に推挙される (71歳) |
昭和35年 | 1960年 | 石造書庫を妻沼町役場に寄贈 | |
昭和39年 | 1964年 | 8月 | 「財団法人井田育英会」を設立、私財1億円を拠出 (75歳) |
昭和40年 | 1965年 | 3月 | 脳血栓で倒れる |
昭和40年 | 1965年 | 5月 | 17日、勲四等瑞宝章受章 |
昭和40年 | 1965年 | 10月 | 31日没、東京多摩霊園に埋葬される (76歳) 従五位に叙せられる |
緑字・・・・メヌマポマード、経営に関すること
赤字・・・・政界に関すること
青字・・・・故郷妻沼と関わること
文献
書名 | 著者名 | 出版社 | 出版年 |
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「井田両国堂四十年史」(井田日出男) | 井田両国堂 | 1960. | |
妻沼町史 | 妻沼町 | 1977. | |
資料編さんだより4 | 埼玉県立文書館 | 埼玉県立文書館 | 1998. |
『熊谷市史研究 第9号』 【研究ノート】井田友平の生涯とメヌマポマードの創始P95 |
水品 洋介 | 熊谷市教育委員会 | 2017.03. |