江戸末期の儒学者、寺門静軒は寛政8年(1796)江戸に生まれ、若くして儒学と仏典を学びました。40歳のとき著した「江戸繁昌(はんじょう)記」がベストセラーになりましたが、為政者(いせいしゃ)の無能を風刺した内容が幕府の逆鱗(げきりん)に触れ、江戸追放の刑を受け、各地を転々としながら学問と見聞を広めました。
万延元年(1860)妻沼に滞在した折、地元の人々の要請に応えて「両宜塾」を開校。漢詩文を教えました。
両宜塾には、後に妻沼地方の文化の発展に尽くした有能な人材も多く在籍していました。日本で最初の女性医師、荻野吟子もその一人です。
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