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東武熊谷線の部屋

東武熊谷線は、当初軍需目的で熊谷市と太田市を結ぶ鉄道として昭和17年に着工し、翌年12月5日に熊谷―妻沼間10.1kmが開通しました。しかし、戦況の悪化と終戦により、妻沼―新小泉間は完成しませんでした。
戦後、経済の高度成長に伴い、妻沼―大泉間の貫通が望まれ、昭和36年には貫通促進期成同盟が発足しましたが、東武鉄道、続いて国鉄も建設困難と判断し、貫通は実現しませんでした。
当初「カメ号」の愛称で親しまれた蒸気機関車が田畑の中をのんびり走っていましたが、昭和29年にディーゼルカーとなり、熊谷―妻沼間の重要な交通機関として活躍しました。
昭和53年2月24日、東武鉄道は、大幅な赤字を理由に東武熊谷線廃止の意向を熊谷市と妻沼町に通知しました。そして、昭和58年5月31日に、存続のための運動も実らず、廃止となりました。
現在、東武熊谷線の線路跡は「緑道」と呼ばれる道路や公園等に生まれ変わり、当時の車輛は、妻沼展示館に移設保存され、屋外展示されています。