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東武熊谷線のその後

熊谷市は、昭和57年5月27日に、東武熊谷線を昭和58年5月31日限りで廃止すること、代替バスの運行、廃止後1年間は鉄道と同額にすること、廃線敷など東武所有地を市が無償で借り受け、市による道路使用を了承するとの4点で東武鉄道と合意しました。

線路・橋梁・境界杭・鉄道柵

東武熊谷線と秩父鉄道併用区間の線路(熊谷―上熊谷駅間)は、現在も東武鉄道管理になっており、秩父鉄道は利用していません。このため、上熊谷駅の乗り場は、構内踏切を渡って片側(旧熊谷線ホーム)がフェンスで閉鎖された島式ホームに渡るという特殊な構造となっています。同区間には線路が残されており、踏切部分はアスファルトで埋められており、上熊谷駅から570m程西の地点で途切れています。
また、上熊谷―大幡駅間の成田堰用水を跨ぐ地点には、コンクリート製のアーチ橋が残されています。この他、東武鉄道の境界杭や鉄道柵も「かめのみち」内に現在も残されています。
上熊谷―大幡駅間の途切れた線路
(平成28年6月20日撮影)
上熊谷―大幡駅間:成田堰用水橋梁
(平成28年6月16日撮影)
上熊谷―大幡駅間:東武鉄道境界杭
(平成28年6月16日撮影)
上熊谷―大幡駅間:コンクリート製鉄道柵
(平成28年6月16日撮影)

かめのみち

昭和58年5月31日の廃線後、軌道跡地は熊谷市・妻沼町に無償貸与され、熊谷市側の市街地部分(熊谷市伊勢町〜石原地区)は「かめのみち」と呼ぶ細長い公園が整備されました。この「かめのみち」には、線路に見立てた幅約3mの通路がつくられ、大幡駅舎を模した木造の休憩所や、キハ2000形気動車を模したコンクリート製の建物やかめのモニュメントが設置され、市民の憩いの場となっています。
キハ2000形を模した建物
(平成28年5月19日撮影)
JR高崎線立体交差箇所の盛土部植栽「くまがや」
(平成28年5月19日撮影)
カメのモニュメント
(平成28年5月19日撮影)
大幡駅舎を模した休憩所
(平成28年6月6日撮影)
キハ2000形気動車のイラストの描かれたプレート
(平成28年6月16日撮影)
レールを模した「かめのみち」看板
(平成28年6月16日撮影)

緑  道

熊谷市中奈良から妻沼駅にかけての軌道跡地は、生活道路が新たに計画され、平成元年5月26日に、熊谷市中奈良から旧妻沼駅を抜け国道407号線に接続する「緑道」と呼ばれる生活道路が整備・完成しました。
平成元年5月26日開通の「緑道」
妻沼かるた

キハ2000形気動車

東武熊谷線として東急車両に発注され、昭和29年2月10日より走り続け、延2600万人を運んだ3台の気動車は、現在別々の道を歩んでいます。

キハ2001号

昭和58年5月31日、熊谷駅発午後9時5分発の最終列車の任務を終えた後、妻沼駅で「お別れ会」が行われました。その後、熊谷駅に回送され、6月1日、秩父鉄道の電気機関車にけん引され、羽生を経て東武動物公園へ運ばれました。そして、東武動物公園園内展示場に、蒸気機関車や展望台付貴賓者などとともに展示されました。

キハ2002号

東武鉄道より妻沼町へ寄贈となり、廃線後、クレーン車で吊上げトレーラに乗せ、妻沼中央公民館駐車場へ移動。当初露天展示されていましたが、平成12年3月に妻沼展示館裏にて屋根を架け保存・展示されています。
『広報めぬま』昭和58年7月号 妻沼展示館北側に保存公開されているキハ2002号

キハ2003号

昭和58年7月21日〜27日にかけて、千葉県船橋東武デパートで開催された鉄道用品「東武ジャンク市」で即売され、船橋市の珠算塾の教室用に200万円(推定)程で売却されました。