利根川の橋脚
第1期工事の見通しがついた昭和18年6月1日、利根川橋梁工事施工の許可申請が東武鉄道より提出され、昭和19年3月8日付けで運輸通信大臣の認可が下りました。認可書には、昭和19年4月4日までに着手し、昭和20年9月7日までに竣工すべしと付記されていました。
ところが、橋梁工事の最中であった昭和20年8月15日に終戦を迎え、中島飛行機工場への工員・資材輸送のため計画された 東武熊谷線敷設の目的は無くなりました。
しかし工事は、治水工事上直ちに中止することができず、橋脚の基礎井筒工と、橋脚、橋台は完成させる方針を昭和22年2月1日に決定しました。昭和22年7月には、利根川が出水した際にも持ちこたえる状態となり工事を完了、工事事務所を閉鎖しました。
昭和49年8月20日、東武鉄道は鉄道敷設権を放棄しまし、昭和53年8月7日、建設省関東地方建設局に、橋脚、橋台、基礎井筒等の構築物撤去工事を委託申請、受理され、昭和54年3月31日全ての利根川河川敷内構築物の撤去が完了しました。
利根川河川敷の橋脚 | ||
利根川と河川敷に残る橋脚航空写真 (昭和50年1月29日撮影)提供:国土地理院 |
群馬県側(大泉町)の堤外に残る橋脚 (平成28年5月14日撮影) |
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広報めぬま:昭和55年4月号 |