蒸気機関車から気動車へ
2Bテンダ蒸気機関車
東武熊谷線は当初、蒸気けん引の客車列車でした。けん引機は、館林機関区所属の2Bテンダ機27・28号が使用されました。
蒸気機関車は、炭水車(テンダ)の有無で分けられ、炭水車を持たない機関車は「タンク機関車」と呼び、機関車自体に石炭と水を積み、前進と後進が同じようにできました。しかし、炭と水の量が少ないため、長距離運転には向かないという欠点もありました。テンダ機関車は、機関車の後ろに石炭と水を積んだ車両が繋がれており、石炭と水を多量に積むことができたため長距離運転に向いていました。しかし、後ろ向きの運転の場合、スピードを制限される欠点がありました。
この2Bテンダ蒸気機関車は、国鉄5300型で、1882年英国ベャーピーコック社製の蒸気機関車で、動輪2軸の旧式蒸気機関車です。東武鉄道が、大正3年に鉄道院から2両を譲り受けたもので、東武本線で使用されていました。昭和18年の開業に伴い同線に配属となり、客車2両をけん引しました。
熊谷―妻沼駅間10.1kmを24分かけて走るこの蒸気機関車を地元の人々は親しみを込めて「カメ号」と呼びました。
蒸気機関車2Bテンダ機(昭和29年1月頃) | 蒸気機関車2Bテンダ機 | |
蒸気機関車2Bテンダ機と気動車キハ2000形気動車:妻沼駅 (昭和29年1月頃) |
妻沼操車場の給水槽と炭庫の間に止まる機関車 (昭和29年1月頃) |
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妻沼―大幡間を走る蒸気機関車28号機関車 (昭和28年12月頃) |
2両の客車を率いて妻沼駅出発直前の28号機関車 (昭和28年12月頃) |
キハ2000形気動車
昭和29年2月10日、東武熊谷線は、蒸気機関車(2Bテンダ型・27号・28号)から、クリームとコバルトブルー2色に塗り分けられた最新型ディーゼルカーのキハ2000型に変更となりました。
これにより、熊谷―妻沼間が24分から17分に短縮され、1日7往復が14往復にとなり、利便性が向上しました。
キハ2000形は、東急車両製で、DMF13形120馬力のエンジンよりトルク・コンバーターを介して動力を伝達する液圧式ディーゼルカーで、車体はノーシルノーヘッダの正面2枚窓・Hゴム支持。ベンチレーターは中央ガーランド、外側阪急型でした。車体・台車ともに高抗張力鋼を使用しており、自重は22t、台車はTR26の改良型TS102(コロ軸受付)、カップラーは日鋼式で、ナンバーは、2001〜2003で計3両あり、定員109名(座席62名)。液体式の変速機を備え、統括制御が可能であり、朝夕は2両編成で運転していました。
正面の2枚窓は流線形を呈しており、昭和25年に製作された湘南電車の影響を受けたもので、当時最も流行したデザインでした。
キハ2000形気動車は、初期型:1灯ツートン塗装(クリームとコバルトブルー)⇒中期型:1灯2色塗装(クリームとオレンジ)⇒末期型:2灯単色(クリーム)とヘッドライトと塗装色が変化しています。
キハ2002 運転席速度計 | キハ2002 車両内車内ブザー表 | キハ2002 車両内非常警報装置 |