斎藤氏・長井庄・聖天堂関連略年表
和暦 | 西暦 | 出 来 事 | 出 典 |
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天永2年 | 1111年 | 斎藤別当実盛、越前国河合庄の吉原斎藤家に生まれるという。幼名助房。 | 「長井系図」 |
天治元年 | 1124年 | 実盛、武蔵国長井庄の斎藤実直の養子となり、名を実盛とあらためたという。 | 「長井系図」 |
久安年間 | 1145〜 1151年 |
妻沼(大我井)経塚が築かれる(現妻沼小学校敷地内)。 | 「妻沼経塚出土経筒銘」 |
久寿2年 | 1155年 | 大蔵館の変が起こる。実盛は義賢の遺児・駒王丸(後の木曽義仲)を信濃国の中原兼遠に預ける。 | 『源平盛衰記』 |
保元元年 | 1156年 | 保元の乱が起こる。実盛は平清盛・源義朝方として参戦する。 | 『保元・平治物語』 |
平治元年 | 1159年 | 平治の乱が起こる。実盛は源義朝方として奮戦するが敗れて、本領へ帰る。 | 『保元・平治物語』 |
治承3年 | 1179年 | 実盛、武蔵国長井庄に大聖歓喜天を奉り、聖天宮を建立したという。 | 「略縁起」 |
治承4年 | 1180年 | 源頼朝が関東八か国の軍勢を長井河原に参集し、戦勝を祈願する。 | |
10月、富士川の戦いで源氏方に敗れる。実盛は、「東国の案内者」として、平家軍に従ったという。 | 『平家物語』 | ||
寿永2年 | 1183年 | 春、木曽義仲が挙兵する。 | 『平家物語』 |
5月、倶梨伽羅峠の戦いで、平家方は義仲方に大敗を喫する。 | 『平家物語』 | ||
6月、実盛、篠原の戦いで木曽義仲方の手塚太郎光盛に討ち取られる。 | 『平家物語』 | ||
7月、平家都落ち。実盛の子の斎藤五宗貞・六宗光、平維盛に妻子を守護するよう命じられる。 | 『平家物語』 | ||
文治2年 | 1186年 | 平家討伐の戦勝により、源頼朝が本社・末社建立。 | 「旧記・略縁起」 |
文治5年 | 1189年 | 奥州合戦の功により宮道{杖国平(実盛外甥)長井荘が与えられる。 | 「略縁起」 |
建久4年 | 1193年 | 源頼朝が聖天宮を訪れたときに、実盛の子・阿請房良応僧都が別当寺の建立を願い出て了承され、関東八カ国の勧進を行ったという。 | 「略縁起」 |
建久8年 | 1197年 | 良応僧都、聖天宮を修復し、別当寺として歓喜院を創設したという。実盛の外甥宮道国平、子孫実家・実幹、歓喜尊天の御正躰を鋳出した錫杖を奉鋳する。 | 「略縁起」「錫杖銘文」 |
建保元年 | 1213年 | 和田義盛の乱の勲功の賞として、安達時長に長井庄が与えられる。 | 「吾妻鏡」 |
この頃 | 歓喜院前にある善光寺三尊板碑(県指定文化財)、造立される。 | ||
建治元年 | 1275年 | 「六条八幡宮造営注文」の武蔵国御家人分の用途負担の中に、「長井斎藤五郎左衛門尉跡」が見える。 | 「六条八幡宮造営注文」 |
建武2年 | 1335年 | 長井福河斎藤三郎実利法名円心、越後国奥山庄内黒河条地頭職に関する相論に名が見える。 | 「斎藤家文書」 |
建武3年 | 1336年 | 南朝方の北畠顕家軍に長井斎藤別当実永、舎弟豊後次郎の名が見える。利根川渡河に際し先陣を切るも流されるが、勇名を博す。 | 「太平記」 |
暦応2年 | 1339年 | 武州福河庄住人沙弥来阿、同庄聖天堂に鰐口を奉鋳する。(文化10年の項参照) | 「鰐口銘文」 |
興国元年 | 1340年 | 南保重貞、養父長井福河斎藤三郎実利法名円心から越後国奥山庄内黒河条地頭職の譲渡を新田義宗より了承される。 | 「色部文書」 |
康永元年 | 1342年 | 長井斎藤左衛門尉実持、足利尊氏・直義の天龍寺参詣に供奉する。 | 「天龍寺造営記録」 |
貞治2年 | 1363年 | 鎌倉公方足利基氏、北方地頭をして高麗郡笠幡年貢帖絹代を長井庄定使森三郎に給付する。 | 「町田家文書」 |
明徳2 | 1391年 | 鷹野丹後守貞慶、社頭再興料100貫文を寄附。 | 「旧記・略縁起」 |
応永元年 | 1394年 | 了悟、元は「長井の柴のうたのすけ」が所持していた幡羅郡長井庄田島郷内の田畠を買得し、上野国群馬郡の聖了寺に寄進する。 | 「歴代古案」 |
応永12 | 1402年 | 忍城主成田家時、社頭造営・修復料として永楽銭350貫文、田畑30町を寄附。 | 「旧記・略縁起」 |
宝徳2年 | 1450年 | 大江持宗、聖天堂別当職を鎌倉鶴岡八幡宮相承院に寄進する。 | 「相州文書」 |
応仁元年 | 1468年 | (享徳16年)古河公方足利成氏、玉井・長井・別符等の不参を責め、幡羅郡長井庄以下の所領を没収し、結城氏広に与える。 | 「別符文書」 |
文明10年 以前 |
1478年 以前 |
かつて、京都仁和寺領となる。(この年までには、不知行となる。) | 「仁和寺文書」 |
文明11年 | 1479年 | 長尾景春が乱をおこし、長井六郎要害へ籠城する。足利成氏が別符宗幸に忍城の防備を成田氏と相談するよう命じる。 | 「別符文書」 |
享禄3 | 1530年 | 小宮山丹後守貞載、社頭再興料として100貫文を寄附。 | 「旧記・略縁起」 |
天文21年 | 1552年 | 成田長泰・氏長が聖天堂を造営、紵絲斗帳を奉納。 | 「略縁起」「棟札写(武蔵国銘記集)」 |
元亀3年 | 1572年 | 「妻沼」の初見。武蔵国長井庄目沼郡坂木神左衛門、久喜市正蓮寺の阿弥陀如来像を奉納する。 | 「正蓮寺阿弥陀如来像銘」 |
文禄3 | 1594年 | 徳川家康が妻沼を通行し聖天宮を参詣。 | 「旧記・略縁起」 |
慶長9年 | 1604年 | 徳川家康が聖天堂を再興し、50石を寄進したという。 | 「略縁起」「棟札写(武蔵国銘記集)」「家康朱印状写」 |
寛永21年 | 1644年 | 幕府代官により聖天領の検地が行われる。 | 「目沼村聖天領御検地水帳写」 |
万治元 | 1658年 | 十二郷の奉加により仁王堂(仁王門)造営。 | |
寛文12 | 1672年 | 別当坊が炎焼。 | |
延宝2 | 1674年 | 江戸浅草で出開帳ののち、妻沼で居開帳が行われる。 | |
享保5年 | 1720年 | 「聖天本堂・諸堂・末社・仁王門修覆造興」のため細工初め。 | 「棟札」 |
享保6年 | 1721年 | 「聖天本堂・諸堂・末社・仁王門修覆造興」の棟札がつくられる。 | 「棟札」 |
享保16年 | 1731年 | 紵絲斗帳を将軍吉宗の上覧に供する。 | 「聖天堂錦戸帳上覧記録」 |
享保17年 | 1732年 | 紵絲斗帳が返され、氏子28カ村に開帳される。 | 「聖天堂錦戸帳上覧記録」 |
「武蔵国播羅郡長井庄女沼村聖天宮略縁起」がつくられる。 | 「略縁起」 | ||
享保20年 | 1735年 | 聖天堂奥殿着工。総棟梁は工匠の林兵庫正清、彫刻棟梁は石原吟八郎。 | 「奥殿地棟木銘」 |
寛保元年 | 1741年 | 聖天堂奥殿上棟。 | 「奥殿地棟木銘」 |
寛保2年 | 1742年 | 関東地方、豪雨による大水害。その後のお手伝い普請のため、長谷川十右衛門ら岩国・吉川藩が目沼に滞在する。 | 「武州上利根川御普請御手伝御元小屋日記」 |
延享元年 | 1744年 | 聖天堂奥殿竣工、遷宮、開帳。岩国藩長谷川十右衛門、貴惣門設計図を林正清に渡す。 | 「奥殿棟札写」「長谷川十右衛門書状」 |
宝暦2年 | 1752年 | 後藤茂右衛門正網(奥殿鳳凰彫刻師)没する。 | 「彫工左氏後藤世系図」 |
宝暦3年 | 1753年 | 林兵庫正清没する。 | 「墓碑銘」 |
宝暦5年 | 1755年 | 聖天堂拝殿工事再開。 | 「拝殿野棟木銘」 |
宝暦6年 | 1756年 | 聖天堂拝殿上棟。 | 「拝殿野棟木銘」 |
宝暦10年 | 1760年 | 聖天堂拝殿竣工。起工より25年の歳月と工費約2万両を費やしたとされる。 | 「中殿小屋梁銘」 |
小沢五右衛門常信(奥殿鳳凰彫刻師)没する。 | 「彫工左氏後藤世系図」 | ||
宝暦13年 | 1763年 | 狩野英信(拝殿内拝天井龍図作者)没する。 | 「日本人名大辞典」 |
安永8年 | 1779年 | 聖天堂の屋根を、こけら葺を土居葺として瓦棒銅板葺に改める。 | 「聖天宮屋根箱棟鬼板寸法」 |
弘化4年 | 1847年 | 貴惣門着工。 | |
文化10年 | 1810年 | 林兵庫、三峯神社に登り、開山堂にあった鰐口を聖天堂に返す(暦応2年の項参照)。 | 「三峯神社日鑑」 |
嘉永4年 | 1851年 | 林正道、貴惣門竣工。 | |
明治元年 | 1868年 | 神仏分離。聖天堂は歓喜院の仏堂となり、大我井神社が創建される。 | 「田島家文書」ほか |
明治14年 | 1881年 | 山岡鉄舟、「歓喜天」の大額を揮毫し、奉納する。 | |
明治18年 | 1885年 | 勝海舟、「鎮国利人」の書(市指定文化財)を書く。 | |
明治24年 | 1891年 | 倒壊した仁王門再建の細工初め。 | |
明治25年 | 1892年 | 仁王門上棟。 | |
明治27年 | 1894年 | 現在の仁王門落成。 | |
大正3年 | 1914年 | 歓喜院御正躰錫杖、国宝(現在は重要文化財)に指定される。 | |
昭和2年 | 1927年 | 聖天堂拝殿正面・南側面の木階を石造に整備。 | 「石階親柱刻銘」 |
昭和5年 | 1930年 | 東京浴油元講、参道正面に石門を奉納。 | |
昭和12年 | 1937年 | 聖天堂中殿南北脇間増築。 | 「小屋東銘・壁下張り古新聞」 |
昭和16年 | 1941年 | 聖天堂拝殿外拝中央三間をコンクリート土間に、南北端間を小部屋に改造。 | 「相撲場南脇石碑」 |
昭和26年 | 1951年 | 聖天堂拝殿高欄擬宝珠金物更新。 | 「金物刻銘」 |
昭和32年 | 1957年 | 妻沼(大我井)経塚、妻沼小学校敷地内で発見される。経筒・和鏡・刀子・甕など出土。 | |
昭和34年 | 1959年 | 聖天堂、紵絲斗帳、埼玉県指定文化財となる。 | |
昭和36年 | 1961年 | 鰐口、埼玉県指定文化財となる。 | |
昭和40年 | 1965年 | 歓喜院前の善光寺三尊板碑、埼玉県指定文化財となる。 | |
昭和41年 | 1966年 | 聖天堂屋根葺替工事実施、銅板平葺きに変更(〜昭和43年)。 | |
昭和47年 | 1972年 | 貴惣門、埼玉県指定文化財となる。 | |
昭和53年 | 1978年 | 実盛公800年遠忌法要を執行、実盛遊歩道創設。 | |
昭和59年 | 1984年 | 聖天堂、国重要文化財に指定される。 | |
昭和62年 | 1987年 | 貴惣門、屋根替え工事完了。 | |
平成2年 | 1990年 | 中門(町指定文化財)改修竣工。 | |
平成3年 | 1991年 | 斎藤別当実盛公敬仰会発会。 | |
平成12年 | 2000年 | 聖天堂保存活用計画策定調査実施。 | |
平成14年 | 2002年 | 聖天堂調査工事実施(〜平成15年)。貴惣門、国重要文化財指定。 | |
平成15年 | 2003年 | 聖天堂保存修理工事開始。 | |
平成17年 | 2005年 | 埼玉県立博物館にて、「−刻まれた鼓動−歓喜院聖天堂の建築彫刻展」が開催される。 | |
平成22年 | 2010年 | 聖天堂保存修理工事完了(国庫補助事業)。 | |
平成23年 | 2011年 | 聖天堂保存修理工事完了(自主事業)、6月1日より一般公開開始。 御開帳、落慶法要。 熊谷市立熊谷図書館にて、「−平成の大改修落成記念−斎藤氏と聖天堂展」が開催される。 |
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平成24年 | 2012年 | 熊谷市立熊谷図書館から、図録『斎藤氏と聖天堂』刊行される。 | |
聖天堂国宝指定(7月9日官報告示)。 |