熊谷市のうちわ
うちわの歴史
円山古墳群第2号墳出土 翳(さしば)形埴輪
熊谷うちわ祭 うちわ
うちわの原型は、紀元前3世紀の中国の周で使われた「翳(さしば)」が原型とされています。翳は、柄が長く、扇面にあたる部分は鳥の羽などから作られ、身分の高い人が、顔を隠すための道具として使われました。
日本では、飛鳥時代に中国からもたらされ、10世紀頃から小形の翳をうちわと呼ぶようになりました。万葉集にも歌われ、奈良平安時代には、貴族の間で涼をとったり、陽射しを遮るために顔を隠したりするものとして用いられました。
江戸時代、浜松商人が興して江戸で開業した伊波仙では、豊国、国芳、広重などの版元となり、浮世絵をうちわに刷り込むことを考案し、人気を博しました。
明治時代になると、広告媒体として用いることが普及し、企業や寺社によって利用されました。
熊谷のうちわ祭で配られるうちわも、明治35年頃より、料亭「泉州楼」の主人が、それまでの「赤飯ふるまい」から、江戸から買い入れた渋うちわを配布したことに由来するとされています。
うちわの紹介
昭和20年代から30年代にかけて熊谷地域の商店で配られていた「うちわ」を紹介します。
レトロなイラストが描かれた「うちわ」は、昭和世代にとっては懐かしく、また当時の様子を知らない世代にとっては、当時の様子がうかがえる貴重な歴史資料といえます。
※うちわをクリックすると紹介ページに移動します。