熊谷市のうちわ
うちわの歴史
円山古墳群第2号墳出土 翳(さしば)形埴輪
熊谷うちわ祭 うちわ
(平成16年頃熊谷市観光協会配布)
うちわの原型は、紀元前3世紀の中国の周で使われた「翳(さしば)」が原型とされています。翳は、柄が長く、扇面にあたる部分は鳥の羽などから作られ、身分の高い人が、顔を隠すための道具として使われました。
日本では、古墳時代に中国からもたらされ、埴輪としても作られ、古墳に配置されています。
平安時代には、貴族の間で涼をとったり、陽射しを遮るために顔を隠したりするものとして用いられ、10世紀頃から小形の翳をうちわと呼ぶようになりました。
万葉集にも「渋谷の二上山に鷲ぞ子生といふ さしばにも君が御為に鷲ぞ子生という」(巻16-3882):「渋谷の二上山に鷲が子を生むと言う。貴君のためにさしばにう使ってもらおうと鷲が子を生むと言う」と歌われています。
江戸時代、浜松商人が興して江戸で開業した伊波仙では、豊国、国芳、広重などの版元となり、浮世絵をうちわに刷り込むことを考案し、人気を博しました。
平安時代には、貴族の間で涼をとったり、陽射しを遮るために顔を隠したりするものとして用いられ、10世紀頃から小形の翳をうちわと呼ぶようになりました。
万葉集にも「渋谷の二上山に鷲ぞ子生といふ さしばにも君が御為に鷲ぞ子生という」(巻16-3882):「渋谷の二上山に鷲が子を生むと言う。貴君のためにさしばにう使ってもらおうと鷲が子を生むと言う」と歌われています。
江戸時代、浜松商人が興して江戸で開業した伊波仙では、豊国、国芳、広重などの版元となり、浮世絵をうちわに刷り込むことを考案し、人気を博しました。
明治時代になると、広告媒体として用いることが普及し、企業や寺社によって利用されました。
熊谷のうちわ祭で配られるうちわも、明治35年頃より、料亭「泉州楼」の主人が、それまでの「赤飯ふるまい」から、江戸から買い入れた渋うちわを配布したことに由来するとされています。
〇丸亀うちわ
香川県丸亀市を中心として生産されているうちわ。金刀比羅宮参拝の土産物として江戸時代初頭から生産が始まり、うちわの持ち手と扇面が一般の竹から作られているのが特徴。当時財政的に苦しかった丸亀藩が、生産を奨励し、下級武士や町民に、うちわ作りが広まっていった。
現在では、日本のうちわ生産の90%を生産している。
〇京うちわ
京都市・南丹市を中心として生産されているうちわ。「都うちわ」「御所うちわ」とも呼ばれ、うちわの中骨と柄が分かれている「挿し柄」と呼ばれる構造が特徴。南北朝期に、朝鮮半島から伝わった系統のうちわが起源と考えられている。柄には、竹だけでなく。杉が使用されたものや、漆塗りが施された高級品も作られている。
〇房州うちわ
千葉県館山市・南房総市を中心として生産されているうちわ。持ち手の部分に丸い竹を使用した「丸柄」と、竹を細かく裂いて紙が貼られていない部分(窓)を作る「割竹」が特徴。関東大震災で被災した東京のうちわ問屋が。「江戸うちわ」の原材料である「女竹」の生産地であった千葉県に移住したことにより、急速に生産が拡大し、「江戸うちわ」は「房州うちわ」となり、技術と製法が受け継がれた。
日本三大うちわ
うちわの生産地として有名な香川(丸亀うちわ)、京都(京うちわ)、千葉(房州うちわ)で生産されているうちわは、「日本三大うちわ」として、日本の伝統工芸品に指定されています。〇丸亀うちわ
香川県丸亀市を中心として生産されているうちわ。金刀比羅宮参拝の土産物として江戸時代初頭から生産が始まり、うちわの持ち手と扇面が一般の竹から作られているのが特徴。当時財政的に苦しかった丸亀藩が、生産を奨励し、下級武士や町民に、うちわ作りが広まっていった。
現在では、日本のうちわ生産の90%を生産している。
〇京うちわ
京都市・南丹市を中心として生産されているうちわ。「都うちわ」「御所うちわ」とも呼ばれ、うちわの中骨と柄が分かれている「挿し柄」と呼ばれる構造が特徴。南北朝期に、朝鮮半島から伝わった系統のうちわが起源と考えられている。柄には、竹だけでなく。杉が使用されたものや、漆塗りが施された高級品も作られている。
〇房州うちわ
千葉県館山市・南房総市を中心として生産されているうちわ。持ち手の部分に丸い竹を使用した「丸柄」と、竹を細かく裂いて紙が貼られていない部分(窓)を作る「割竹」が特徴。関東大震災で被災した東京のうちわ問屋が。「江戸うちわ」の原材料である「女竹」の生産地であった千葉県に移住したことにより、急速に生産が拡大し、「江戸うちわ」は「房州うちわ」となり、技術と製法が受け継がれた。
房州うちわ:平成12年頃、千葉県いすみ市で、七五三のお祝いの返礼として、有限会社花藤で買い求めたうちわ。隣町の御宿町仲町の浅間神社にお参りした。
丸亀うちわ:平成17年頃、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮に参拝した際に、門前で購入した渋うちわ。扇面には「福うちわ」と記され、七福神が帆掛け船に乗るイラストが描かれている。
うちわの紹介
昭和20年代から30年代にかけて熊谷地域の商店で配られていた「うちわ」を紹介します。
レトロなイラストが描かれた「うちわ」は、昭和世代にとっては懐かしく、また当時の様子を知らない世代にとっては、当時の様子がうかがえる貴重な歴史資料といえます。
※うちわをクリックすると紹介ページに移動します。