熊谷駅 駅弁掛紙
熊谷駅は、明治16年(1883) 7月28日、上野駅−熊谷駅間の日本鉄道第1期線(現在の高崎線)の駅として開業しました。熊谷駅は高崎線内で浦和駅・上尾駅・鴻巣駅と並んで最も古い駅の一つであり、当初熊谷駅は同線の始発・終着駅でした。同年10月21日には、日本鉄道第1期線が本庄まで延伸し、その後前橋まで延伸されました。
この熊谷駅開業当時、駅前に客待ちの茶店を出し、駅売り弁当や五家宝の駅売りを初めて行ったのが、清水藤左衛門(1880-1952)の清水屋と、秋山国次郎の秋山亭でした。
ちなみに、日本での駅弁の始まりは諸説あり定まっていませんが、1の宇都宮駅説が一般的な駅弁の始まりとされているようです。
- 1.明治18(1885)年7月16日:宇都宮駅説:白木屋旅館がホームで販売。
- 2.明治10(1877)年頃:大阪駅説:乗客が車外で購入。
- 3.明治10(1877)年7月:神戸駅説:立売弁当販売。
- 4.明治18(1885)年7月16日:小山駅説:「翁ずし」販売。
- 5.明治16(1883)年7月28日:上野駅説:「上野停車場構内弁当料理ふぢのや」という記録文書有。
- 6.明治16(1883)年7月28日:熊谷駅説:熊谷駅開通の日に「すしとパンを売って・・・」という記述有。
- 7.明治17(1884)年5月1日:高崎駅説:昭和31年の中央会発行「駅弁当のしおり」に記述有。
清水屋
清水藤左衛門が、明治40年6月1日帝国鉄道庁長官承認により、熊谷駅構内で弁当類の販売を開始。清水家は江戸時代より熊谷宿で旅館を営んでいた。昭和25年3月9日藤左衛門の死亡により、大澤盛太郎に営業を譲渡している。
秋山亭
秋山国次郎が、明治30年5月逓信省鉄道局長の許可を得て、熊谷駅構内で弁当類の販売を開始。昭和2年3月24日に子の国次が営業を引き継ぎ、昭和22年4月15日より国次の妻信子が営業を継承している。
大澤
大澤与志松が、大正6年5月1日に、東京鉄道管理局長の承認を得て、熊谷駅で牛乳や雑貨の販売を開始。牛乳、サンドウイッチの販売を行った。昭和55年子の修に事業を譲渡、昭和57年には妻千代子が事業を継承し、平成16年頃まで牛乳や五家宝、土産類等を販売していた。
大盛商店
大澤与志松が、昭和25年3月10日に、清水屋(清水藤左衛門)から営業の譲受による継承を行い、与志松の次男、盛太郎が二代目を継承して熊谷駅で、弁当類の販売の構内営業を続けました。屋号の「大盛」は、この大澤盛太郎に由来します。