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田島一宿 他 『秋の一日』

大正13年10月、ホトトギス吟行会一行は、福田村(現滑川町)できのこ狩りをするために、熊谷に立ち寄ります。ホトトギス吟行会一行は、山口青邨(1892-1988)、一水、たけし、夏山、三七、これを迎える熊谷の俳人は、田島一宿1896-1973)、江口哠波、古山秋紅、雄美、岡野孤童、中川迂呆1861-1942)の合計11人。駅前の秋山亭で待ち合わせ、車2台に分乗し、途中文珠寺に立ち寄り、福田の山に向かいます。茸狩りを楽しんだ一行は、熊谷の星溪園に立ち寄り句会を催し、その後魚勝で宴会を催しました。

『ホトトギス』 第28巻第4号 「秋の一日」 大正14年刊 ホトトギス社

「一行を迎へて」 田島一宿
 
(前略)

「驛前の茶店、秋山亭には昨夜浩波老人の手に書かれた「ホトトギス茸狩吟行會休憩所」の看板が雨の簷端に立てかけてある。念のため誰か来て居るかと、聞けば誰も居らぬといふ。

すでに一行の列車が着く、九時一分である。浩波老も私も、まだホトトギス社の方々は勿論東京の俳人の顔は少しも知らない。浩波老と私とは出口両側に分かれて、今此口からはき出される一人一人に、若しやそれらしい方は無いかと、穴のあく程にらんだ。人々は皆けげんな顔をして私等見てゆく。然も更にそれらしい人影は見当らぬ。殆ど最後ともいふべき時に、五人程かたまって出た方があった。何れもインバネスに袴といつた様な出立で別に今日の茸狩に参加するものとは見えないが、其内に長靴を穿いた一人が居た。若しやこの五人連れがそれではないかしら、ままよ■■めつぽうに当たって聞けと、其等の人の後ろを追った。「若しや貴君方は、ホトトギスの肩ではありませんか」と聞く、「さうです。あちらがたけし先生です」と云はれた。併し其あちらなるものが私達にはわからない。其處でやうやく一行の方に挨拶もすんで一たん一行を秋山亭へ案内した。

次の列車で花蓑氏其他の方々が来られるかもしれぬとの事で、一列車待って、出迎へてみたが更にその様子がなかった。が意外にも羽生から古山秋紅君が雄美老人同伴で来られたのは、實に嬉しかった。

此處で一行はたけし先生の他一水、青邨、夏山、三七君等の五人に秋紅、雄美の両君とわが吟社の四人を合して都合十一人となった。ことごとく旅装を整へ豫て用意の二臺の自動車に分乗して目的地なる福田村へと向かった。天祐にもさしもの悪い雲行も徐々に変わって来て、かすかながらも日差しが洩れて来た。一行の顔には自ら歓喜の色が見えて来た。私は心ひそかに心から空を仰いで感謝した。」

熊谷へ」 山口青邨

(前略)

「荒川の鉄橋を渡ればもう十里の稲田である。実りに実った穂を垂れて、案山子の姿も此頃は、洋服にカンカン帽子、蕎麦の花も雨の空にはカラッとせず、腐った南瓜もそれと見極めないうちに過ぎ、薄の岡、柿の家、穂の草の原、家鴨の溜池など見送るほどに熊谷に着いて了った。驛には初めてお目にかかる方々のお出迎へ、驛前の弁当屋のテーブルにひとまづ腰かける、「何しろこの雨でせう、今日はとてもお見えになるまいと思って居りました」「ほんとに生憎の雨で、まだまだ来る筈だったんですが」「私の方でも方々に通知は出してあるんでして、て天気なら無論沢山来るのでしたが」「茸山の方は実は昨日わざわざ行って見て来てありますんで、初茸には少し遅い様です」「なアに香さへかげばもう満足です」こんな会話。九時五十分着の汽車も待ったが誰も見えない。それで愈々茸山に行くことにする、雨は霽れて時々明るい日射さへ見せた、これぢゃ愈々天気になると一同大いに喜ぶ、二臺の自動車に分乗して田圃を走る、帆が下りているので外はさっぱりわからない。途中車を停めて文珠様に詣る、この邊での賑やかな縁日のある所なさうだ、また馳る、大きなお百姓屋に到着する、ここの主人が山の案内をされるのださうだ、みんな山に入る仕度をする、羽織を脱ぐ人、袴をとる人、足駄を足袋に穿き代へる人、ゲートルを捲く人、弁当包を背負ふ人、正宗の一升瓶を下げる人。」(中略)「直「ぐとつつきの處の岡に祠がある、一枚の大岩から出来てる岡だ、上り口に階段のないのが珍しい、滑るのを怖々上がる、この邊一帯に松林で、初茸がありさうだなと思って見ると直ぐ見つかる、たうとう吾輩が一番槍を入れて了った、そこを下りて又別の山に入る。「あったあった是は何といふ茸でせう」「是は初茸ですか」「それは毒茸です」「では是はどうです」「ああそれは青獅子といふ奴です」「食べられますか」「これは何でせう」「それは白天狗です」「之は」「土もぐりです」「おーいみんあな集まれ、茸の標本を見せてやる」「みんな見てからとるんだ」こんあ騒ぎをして又山を一つ越える」

(中略)
 山に入る時「茸狩(茸とも)」「秋の山」を提出されたのであったが、作句の方はすっかりお留守になって了っている。午少し過ぎて、みすぼらしい鉱泉宿に着く、そこへ、ゝ石さんがほっこり現れる、賑やかになる、携へた正宗に景気をつけて弁当を開く。ここを立ってまた田圃道を歩く、空は愈々晴れて柿の色が美しい、群雀が田から田へと渡る。「茸」も「秋の山」もまだまとまらない、途中で熊谷からの迎への自動車に出会うふ、そこで、一路さん、一宿さん、孤童さん、夏山さん、ゝ石さん、一水さんは先に会場の方へ行く、先生、煤六さん、雄美さん、浩波さん、秋紅さん、三七君、私は次の自動車の来るまでぽつぽつ歩くことにする、(中略)第二の自動車に乗って会場たる池亭星溪園に着く、水清かにして玻瑠の如く、鯉魚さながらに「遊魚之圖」の如しだ、樹木は古りて蘚苔青く誰か紅葉を焚く人はないかと言い度くなる。「もう締め切りますよ」先生の亭から呼ぶ聲、四阿に居た私はまだ四苦八苦の處。それからみんな集まって披講をする、もう夜である、電燈が灯る。ここをひき上げて直ぐ側から続く堤の上を歩く、櫻樹すでに悉く落葉して折からの明月は盆の様に皓い、堤を下りて踏切を越えて町に入れば、ここは狹斜の巷である、俳人をとっつかまへて「寄っていらっしゃい」はおかしい。それから料亭魚勝に入り池水に動く月光を眺めつつ杯を重ねるうち、美人なども見え話もはづみ、歓談時の移るを知らず、時に一路さんの緊急動議「之から秩父長瀞に行かうぢゃありませんか」と、ついに先生、一水さん、ゝ石さんが行くこととなりあとに残る。ほかの四人はここに一日の行楽を感謝して、九時七分帰京の途に就く、心づくしの茸の苞を抱えて秩父赤壁の清遊は夢に載せて、うちらうちらと車窓に舟を漕ぐ。

星溪園句會」  江口哠波

「帰途土塩の別れ道で山案内の神山氏に別れて自動車が来ないから一行はぽつぽつ歩き出した。爪先昇りの人家のある處で漸く迎への自動車が来た。後れ馳せの煤六さんがそれに乗り込んで居られた。一臺では乗れきれない。丁度たけし先生は歩く方が面白いと仰しやる。其處で一宿、一路、孤童の三氏は句会の仕度があるので一足先に自動車で帰る事になる。外に東京の二方も乗り込まれる。たけし先生と煤六さん其他の方々と私の七人が又ぽつぽつと歩き始めた。野原村を経て村岡の稲田を通ると吾等の一団に驚いてか一群の稲雀が舞ひ上る。たけし先生があれ稲雀がとおつしやる。私は何か句が出来さうに考えた。村岡の酒屋の處で二度目の迎への自動車が漸くに来た。自動車を急がせて四時半頃星溪園に着いた。園は土地の舊家竹井氏の別邸で泉の湧く大きな池を控へ数寄をこらした建築で仲々幽雅の仙境である。たけし先生には曾てほととぎす社の太田、熊谷地方吟行の折に虚子先生と同行で立寄れた事のある處で深く印象の残られてある處だとの事である。留守居の中川迂呆老人は古くからの俳人であって、迂呆さんの好意で句会の場所に借りたのである。設けの座敷に通ると先着の人達によって句会の仕度が出来て居た。先生の出題茸と秋山の互選が始まる。披構された時分には既に日はどつぷり暮れて鏡の様な月が泉の空にかかって居た。そして六時頃この星溪園を辞して道を月の櫻堤に出た」

熊谷の月」 夏山

 「句会が済んだ時はすつかり夜になつていた。会の為に使ひ等して呉れていた少年が「月が出ました」と知らせに来た。二三人縁側に出たが庭木の陰になつて見えない。「此所からは見えません」と少年がいふ。
 短冊を書いたり後片付けをしている人々を残して外に出る。晝間皆を喜ばせた庭の清冽な泉は闇の中に湛へていた。門を出る。いい月だ。十四日の月である。両側にずつと軒燈の点いた街道の丁度真上に上つて居る。赤味を帯びて少し潤んだやうに見えた。
「いい月だな」と口々にいふ。今朝の天候からして期待しなかった月とて皆の喜びは殊更であつた。
暫くして話しながら門の中から出て来た人が「こちらに行きませう、堤の一番端に出て歩いた方がいいでせう」と云って先に立つ。月の照らさない狭い路地を一列になつて歩く。時々家の中から灯が洩れて目を射る。僅か一丁位で熊谷堤へ出た。
 堤の櫻樹には葉は一枚もなかつた。櫻の落葉は早いものだと思ふ。
 この堤は葉櫻の頃一度来た事があるので珍しくはなかつたが、月の裸木の堤をぶらつくのはいい気持ちだ。
一帯に薄い夜霧がかけている。右手の田圃は限界をぼかして夢のやう、左には熊谷の町が眠ったやうに灯つていた。
 我等は三人五人と話しながら月の堤をゆつくり歩いた。月も櫻の枯枝を移つて行く。
六時何分かの上り列車が着きの前を通つた。後ろは又静かさに帰る。
長い堤が盡きた。堤を下りて一同は魚勝といふ料理屋に晩飯を食べに入った。その家の上り口で長靴を抜いでいると「危なく皆を見失ふ所であつたが丁度あなたに出逢つてよかつた」等話しながら一水さんが土地の人孤童さんか誰かと這入つて来られた。」

晩餐会」 岡野孤童

 「星溪園の句会は終わった。一行の帰られる時間は八時二十五分と決つて居た。時間は猶二時間ばかりあつた。私自身としては折角先生の御来車の折であるから勝手に機能ではあるけれ共、たとへ十分なり二十分なり、選句の御講評、又他の俳論を御伺ひしたかつたのであるが、櫻堤をブラブラしたいといふ事になつて惜しい乍らも希望はあきらめ兎も角も櫻堤に上がった。暮れて一旦暗かつた處へ十四日の月が登り始めて、通りの電燈に交つた其の明りが、遠く隔つた灰色の秩父連山に対照して言ふに言はれないいい景色であつた。
「なる程いいですなあ。」一行中の誰かが言つた。
「花の咲く時分だとほんたうにいいんですがね」と一路君が其の頃の事を話した。
「併しめずらしい堤ですなあ」
「何しろ三十丁ばかり続いて居るんですからねえ、それが一時に花を咲かすのですから賑やかなことですよ、その時は又どうぞお越し下さい。」「ええありがたう」などと言つて居る中に五六丁歩つてしまつた。
「先生発車まで大分時間がありますから、一寸晩飯をやらうぢやありませんか。」といふ話がまとまつて一路君を先頭に魚勝に着いた。
 此處も星溪園の様な泉の湧く池があつて、其の池を遶つて座敷が並んでいる。
「温亭先生や土上の連中が大勢来たといふのは此處ですか。」一水さんが聞いた。
「ええさうです」一水さんが廊下に出て手を叩く。鯉が沢山集つてくる。大勢して其の池を見る。熊谷は非常に水に富んだ處で、井戸を掘る事など実に容易であるといふ事などが話された。
 今日はめづらしく客がなくて静かだ。
 私達は正面の一番大きな部屋に陣どつた。此處でたけし先生から私達の句につき色々と説明して戴いた。交代に入浴にゆく、其の中に酒がくる、肴がくる。
 一路君が立つたり跼んだりして女中に世話をやいて居る。一同は大食卓を囲んで坐る。
 此處で晝間は居らなかつた当地の町会議員で舊派の俳人である、凡骨宗匠もちゃつて来た。近頃ホトトギスを読んで勉強しているといふ。さかんに飲み始めた、さかんに食い出した。先生が山に入る時ゲートルが巻けないで巻いてあげた事や初茸だと思つてとつて来たのが油茸で食べると死んでしまうなどと言はれて驚いた事や、一番槍だの一番首だのといつて茸をとつて歩いた事や、ゝ石君があちから車でひよくりと山へ駆けつけた事や、案内者が土もぐりといふ茸をとつた事や、獅子茸がどうしたの、天狗茸はきびが悪いの、布引茸なんて面白い名前だの、自分がはじめ初めて茸狩をした連中が多いので、其の時の事を思ひだしては面白く話す。話は尽きなかった。
 一路君が一同に長瀞行をすすめる。煤六、夏山、青邨、三七の諸君はどうすすめても帰る事となつた。秋紅君は妻君が行田の病院へ入院しているのでといつて一行と共に汽車に乗つた。
諸君を見送つて行つた驛で中西の露翠君、竹聲君、星畔君に会つた。天候の加減をして当地の句会に間に合わなかつたのを気の毒に思つた。たけし先生にお会ひして帰つたら如何ですかと言つたが作句を私に預けて帰つて行つた。一行をを送つた私と一宿君とは再び魚勝へ引返した。」


その日の俳句

秋山に案内されたる句會なか 夏山
高草を茸捧げて潜りけり 雄美
撰りのけし毒茸縁に影投げて 一路
菌撰るほとりの縁に立ち話す 一宿
濫伐の小さき雑木や秋の山 迂呆
此國の人の取らざる菌かな ゝ石
裾を走る馬車を遥かに菌山 孤童
茸狩やしばしが程のざんざめき 青邨
茸狩の一人でありし土産かな 三七
蔦走る松の大樹や秋の山 秋紅
萓きずのつきし手首や菌狩 浩波
いち早く見つけし茸にたかりより たけし
毒茸や露の落葉を支えつつ 一水

 

引用文献

『ホトトギス』「秋の一日」 第28巻第4号  大正14年刊 ホトトギス社

 
『ホトトギス』「秋の一日」:国立国会図書館デジタルコレクション