中川迂呆(なかがわうほう)(1861-1942)
俳人。本名勝蔵。明治11年熊谷宿の中川家に養子として迎えられる。大竹政正の折遰学舎に入塾し学業に励む。また父の指南により剣道の腕を磨き、明治14年静岡県清水港の警察署に勤務、その後故郷に帰り、熊谷町立尋常高等小学校教師となる。友人牛島半舟の勧めにより俳諧の門に入り、句作を行う。句友に三沢刀泉、押田文岱、岡部素柳、中沢正覚、卯木風汀、高木敬子らがいる。大正15年泉吟社の創立句会が星溪園において開催された時の社友に、一宿、一路、浩波、紫紅、孤童、養翮、万雲、荻翠、刀洋、刀泉、酒泉、大河、風月、美秋、慶翠、春灯、一羊らがいる。大正11年より竹井氏の要請により星溪園の管理を委嘱され、大正15年より熊谷市立図書館の司書となり、青少年向け排誌『星川』の課題句に選を行った。昭和17年1月24日82歳で没す。
『星川』新年号 昭和8年1月刊 |
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎