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田島一宿(たじまいっしゅく)(1896-1973)


田島一宿句碑(円光二丁目報恩寺)

俳人。本名一郎。号は「熊谷草」「桜蓮子」。市内仲町田島旅館生まれ。家業を継ぐかたわら文芸に興味を持ち、俳句の道に研鑽した。大正11年国民新聞俳壇の虚子選に「麦秋や 電車となりし 秩父線」が選ばれる。大正15年1月、市内石原の「乱雲会」、上之の「若葉会」とともに俳句結社「泉吟社」を創立する。同年2月には虚子、池内たけしを迎えて星溪園において泉吟社発会の記念句会を催した。戦後の混乱期には「熊谷俳人会」を結成し、熊谷市文化連合の創立に参画した。昭和27年熊谷市文化功労者として市より表彰を受ける。また、熊谷市政20周年記念の熊谷市歌や、市内各校の校歌や各会の会歌等の作詞を行っている。昭和48年11月17日77歳で没す。
昭和50年10月有志により「一枚の ハガキの重み 沈丁花」の句碑が、報恩寺境内に建立されている。

熊谷市歌(昭和28年〜平成19年) 作詞:田島一宿 作曲:平井康三郎
(1)大荒川の瀬びかりに かがよひわたる花の雲 世紀の朝は明けんとす わが熊谷の名は燦と
(2)希望の泉噴くきあふれ 文化つちかふこの沃土 世紀にいどむこの力 わが熊谷の名は燦と
(3)伝統古き産業に 人の結びの輪は堅く 世紀の日輪いただきて わが熊谷の名は燦と

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎