弥生時代の遺構
これまでの調査で見つかっている弥生時代の遺構は、竪穴住居跡86軒、溝跡33条、土坑14基、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)24基、土器棺墓(どきかんぼ)14基、木棺墓(もっかんぼ)1基、礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)4基です(平成28年10月現在。未報告含。)。環濠(かんごう)と呼ばれる大溝は見つかっていませんが、現況河川に沿って流れる旧河川跡が複数見つかっており、環濠の機能を旧河川跡が担っていた可能性も考えられます。また水田などの生産域も見つかっていませんが、地形的に低い遺跡の南ないし南東に広がっている可能性が高いと思われます。
竪穴住居跡
遺跡範囲北の東西に分布しており、特に東に密集しています。規模は、長辺6m、短辺5m前後のものが主体となりますが、中には一辺10m程を測る大形のものもあります。平面形は隅丸長方形が主体となりますが、隅丸方形や小判形なども見られます。
方形周溝墓
方形周溝墓とは、その名のとおり方形に溝を掘り、方台部(ほうだいぶ)と呼ばれる中央部分に土盛りをして遺体を埋葬した成人用のお墓のことを呼びます。主に遺跡範囲南に分布していますが、後期前半には北東に移ります。平面形はすべて四隅土橋形(よすみどきょうがた)です。なお中期後半に遺跡範囲北の西集落内に規模30m程の大形方形周溝墓が出現しますが、集落内に大形方形周溝墓が構築される事象は、南関東地方宮ノ台(みやのだい)式土器文化圏の拠点的集落に見られることから前中西遺跡が南関東地方の影響も受けていたことを物語っています。
土器棺墓
土器棺墓とは、土器を棺として使用した乳幼児用のお墓です。土器棺墓は、中期後半〜末は集落域、後期は墓域で見つかっています。集落域に分布するものは、屋内と屋外に設けられたものがあります。棺身に壺、蓋に甕が使用されたものが多く見つかっています。
木棺墓
木棺墓とは、長方形に掘り込まれた穴の底面に細長い溝を掘り、板をはめ込んで作った棺に遺体を埋葬したお墓です。木棺墓は、遺跡範囲南東に分布する後期初頭の方形周溝墓群に接して1基のみ見つかりました。出土遺物は管玉(くだたま)のみですが、隣接する方形周溝墓群と同時期と考えられます。その規模から成人用と考えられます。
礫床木棺墓
礫床木棺墓とは、底面に細かい礫が敷かれた木棺墓のことを呼びます。礫床木棺墓は、遺跡範囲南西端で4基見つかりました。4基の東からは幅3m程の溝が見つかったことから礫床木棺墓の周囲に巡っていたと考えられます。このうち1基のみ長辺が1m程であることから子供用と考えられます。他は成人用と考えられ、長辺は2〜3mです。礫床木棺墓は、長野県北部を中心に広がる栗林式土器文化圏の墓制であり、長野県外では初めての発見です。被葬者は栗林式土器文化圏から来た人々と考えられます。