牛島半舟(うしじまはんしゅう)(1880-1913)
俳人。本名半助、健吾。熊谷宿仲町壁材料商の牛島家に生まれる。幼少より文芸に興味を持ち、加須村の川島奇北に俳句を習う。明治39年「蛙声会」を主催し、『蛙声』を刊行する。特別賛助員に竹井幽谷、林幽嶂、賛助員に岡部素柳、押田文袋、中川迂呆、中澤正覚等が名を連ね、会計を和久井吟笑が務めた。明治42年「蛙声」解散後、石島雉子郎主催の「浮城」に入会、新聞記者としても活動し、生涯を俳句作家として邁進する。知友に清水紫紅、四鳥坊小島周一、不知帰楼主人松崎貞吉、西村徳太郎、斉藤紫石、四分一葉々、押田文岱、中川迂呆、竹井澹如らがいる。大正2年11月12日34歳で没す。
『蛙声』第1巻第1号 明治39年刊 |
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎