押田文岱(おしだぶんたい)(1855-1933)
俳人。江牛込の旗本の家に生まれる。通称求馬、勝優。幼少より文武両道に励む。明治10年22歳の時熊谷にきて北辰堂印舖を営む。好んで南画を描き、書道・俳句もたしなむ。明治19年内田朴山と芭蕉堂七世内海良大師を熊谷に招き、その指導により、明治21年「水音盟書社」を結成し『俳諧十二支』を創刊。水音盟社主に内田朴山、会員に竹井澹如、大倉林霞、竹井治亭、岡部素柳、牛島半舟、中沢凹眼、卯木風汀、中沢麗泉、小池真雅、中村夕雨、久保如雪、四分一葉々、和久井吟笑らの俳人が名を連ねた。大正2年熊谷寺境内へ常陸山一行の大相撲を呼び、勧進元をつとめた。また、市内仲町の奴稲荷を信仰しその例祭には句会を催し、奉灯俳句を献じた。昭和8年1月18日79歳で没す。
押田文袋 『熊谷大観』より |
参考文献
- 1917『熊谷大観』 下田憲一朗
- 1982『熊谷人物事典』 日下部朝一郎