読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

   天神てんじんー  

「天神」は本来、天神(アマツ)、天照大神などの神々をいいます。地名で読まれる天神は「アマツカミ」ではなく、「テンジン」と呼ばれることが多いため、両者の神名は異なる神と考えられます。

市内には、千代の「天神谷」・板井の「天神」・御正新田の「天神山」にその地名を付して呼ぶ場所があります。地名の場所・地形をみると、千代では集落の西方に位置し、植木沼と三角沼に挟まれ、全く人家がありません。板井では集落の北側の畑地・山林でしたが人家が増えてきました。御正新田では水田を臨む台地の高台を呼んでいます。いずれの場所も、集落の中心よりやや離れ、山林、畑地となっていますが、今でも落ち着いた雰囲気を保ち、神の住まいとしてふさわしいようです。御正新田では古墳が残っています。

地名の由来は、「天神」にありますが、天神は、学問の神様として有名な「菅原道真」を指します。菅原道真は平安時代に活躍した人で右大臣となりましたが、政争に敗れ無念の死後雷神となって人々を悩ませたため、京都の北野天神社に祀られました。天満宮は道真の御霊「天満自在天(てんまじざいてん)」からとられた社名で、死没地の太宰府天満宮が有名です。中、近世以降全国に分社・小社が造られ広い信仰を得ています。

地名との結びつきを調べてみると、現在の千代板井御正新田には天神社はありませんが、明治時代以前には存在したことがわかりました。おそらく神社の跡地がそのまま地名となっているようです。新編武蔵風土記稿や、神社合祀の由来からは、各所に祀られた神社が数えられます。板井の場合、「天神社は村の北方にあって、社地は120坪の広さがある」とみえますが、のちに出雲伊波比神社に合祀されています。

旧在した天神社は三本成沢小江川地区もありました。もっと広く目を向けると神社の境内や路傍に「天満宮」と刻まれた石塔を見つけることがあります。また童謡「通りゃんせ」で馴染みのように子供と結びついた「天神様」の信仰が幅広く浸透していたと推測されます。

天神様の信仰は、社を造ることもありますが、菅原道真にあやかり勉強をよくできるようにと願うことです。2月25日の祭日には子供たちが集り習字をし、食事を共に取り楽しく過ごしたようです。この地区の集り(講)はもう見られませんが、かつての寺小屋を連想させる雰囲気を感じさせます。明冶5年、学制の施行と共に開校された三本学校(現江南北小学校)の前身は寺小屋でした。当時から、学ぶことの下地が身近な信仰の中に培われていたことを推測させます。


現在の板井天神付近
現在の天神付近

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