第10話「千代」ーせんだいー |
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「せんだい」という地名は、宮地県仙台市、鹿児島県川内市など日本各地にあります。これらの地名や場所に何か共通点があるのでしょうか。
まず、江南地域をみてみましょう。荒川沿いに「ハケ」と呼ばれる台地斜面が続き、沖積地と台地を隔てています。「ダイ」は低地から仰ぎ見て高地に広がる平担地を意味します。「千代」地区ではヴァレオ周辺、「成沢」地区では浄水場周辺に「代」の地名があります。旧江南町内にある「台」のつく地名も同じ意味を表わし、低地と高地の明らかな場所といえます。そして、「せんだい」とすると大きな川に面しているという条件がつくようです。仙台市は広瀬川、川内市は川内川、「千代」は荒川と、地名の上では親戚に当るでしょうか。
「千代」地区は天正20年(1592年)伊奈忠次により、甲斐武川衆へ知行地を割りあてた文書の中に、「武川せんだいの郷」と記されています。この記録が最初のようです。文禄4年(1595年)に豊臣秀吉による太閤検地が実施され、「御縄打水帳」(土地台帳、課税台帳の性格を持つ書類)には「千代」の文字が使われています。この文書には、当時の「千代」地区の地名が数多く示され、今では残っていない地名を載せるなど、興味深い史料です
この文書を伝える小久保家は、土塁と堀を残す中世の館跡にあって、鬼門の方向には飯玉神社があります。同家は、明治時代まで「千代」村の名主を勤めています。
「千代」の集落の大半は大字の東部へ集まり、西部は山林が広がっています。どうしてこのようを片寄ができたのでしょうか。地元の伝えでは、いつの頃か火山灰がたくさん降って畑がダメになったので移転したといいます。江戸時代の地誌には、「赤土で土地はさせ時々乾燥に苦しむ」と記されてます。検地帳には、田畑十五町、林九十五町と記され、圧倒的に林がしめています。その畑さえ林畑(生産性が低く、税が安い、焼畑)となっている例があります。
林は薪を取る雑木林と建築材となる赤松林のようでした。林は多くの水を蓄えます。本シリーズの「三本」で紹介したように、「三本」方面へ流れる水は今も枯れていません。林の中に点在する沼の水は驚くほど清らかです。産物として酒が造られたこともうなづけるでしょう。この西部地域は、大規模な発掘調査が行われ、原始・古代の大きな集落の跡、埴輪を焼いた窯跡などが数多く見つかっています。先のいい伝えを裏付けるものでしょうか。少なくとも、「千代」地区の歴史の古さを証明しているようです。
千代地内の植木沼
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