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羽鳥可良久(はとりからく)(1775-1847)

善ケ島に生まれ、天明6年下奈良の吉田市衛門宗敬に預けられ、江戸に春秋庵加舎白雄(1738-1791)の門をたたき、俳句の道を学んだ。
白雄死後、各地を行脚して見聞を広め、江戸に帰った後は、千住の秋香庵建部巣兆(1761-1814)に入門するが、実家の跡継ぎのため寛政12年に帰郷。文政12年名主となり、文政5年には植村家の御勝手賄役となり、財政の立て直しに尽くし、苗字御免となる。江戸に赴くことが多くなり、文人・墨客との交流を深め、天保6年名主役を子文次郎に譲り、屋敷内にある椎の木の傍に居(椎雀亭)を構え、椎庵と号し俳句に専念した。弘化4年(1847)73歳で没した。

・善ヶ島の龍泉寺に建てられている椎雀会由来之碑。椎雀会とは、善ケ島出身の歌人可良久(羽鳥又左衛門:1775-1847)を顕彰するために昭和22年に発足した会。
歓喜院の仁王像を詠んだ可良久の句が刻まれている。
「わらじなき 仁王にさすや 冬の月」


善ヶ島の龍泉寺に建てられている椎雀会由来之碑

・晩年61歳の時に、農村の風景を詠んだ句

「いも汁に おしかけ客も 春の月」
「摘芹の はしり根寒き 門田かな」
「田植女の 水せき分る 青田かな」
「せわしきは 里のならいか 秋の月」

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