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記念碑

福石と福石由来之碑

福石由来之碑

敬神尊王帝国大典亦我国民通性也故古今不乏

天明二年関東大洪水山霊流下巨石而停字森下

地先人々感其奇績祀神称福石神社爾来霊験不

浅庶民仰其徳故官下諭告合祀村社大我井神社、

是実明治四十二年十月也矣雖然神体巨石徒在

神庭森下・荒井氏子等竊憂逆神慮偶今上陛下行

給即位大礼及大嘗大義哉某等奉祝情不能禁相

諮画福石玉垣造営以為永久不滅紀念事業是実

可謂敬神尊王両行今竣工茲記其概要以伝後毘

云爾時

大正四年星次乙卯十一月也

社掌 橋上福高 篆額

勲八等 井田 諄 謹書


福石由来之碑(ふくいしゆらいのひ)

この碑は、大正4年11月に妻沼の大我井神社に建てられた、福石の由来を記したものです。撰文・書は、井田諄
碑文には、「天明2年(1782)に関東で大洪水が起こり、森下の地に洪水で巨石が流れてきた。人々は、この奇跡に感じ、神に祀り、福石神社と称して崇めた。明治42年(1909)10月に大我井神社に合祀し、大正4年11月に、玉垣を造営し永久不滅の事業とし、その概要を記した碑を建てた」と記されている。
天明2年には、記録に残るような洪水は無いことから、歓喜蔭本殿の再建を中断した寛保2年(1742)の大洪水か、天明3年(1783)浅間山の噴火に伴う、天明6年(1786)の洪水の際に流れてきたものと推測されます。

所在地 妻沼
種別 記念碑
造立年 大正4年年(1915)