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井田諄(いだしゅん)(1857-1917)教育者・政治家


井田諄頌徳碑(いだしゅんしょうとくひ)

雲巣と号す。安政4年(1857)1月22日、弥藤吾村新田に生まれる。少年時代に奈良村の飯塚頤斎(いさい)に漢学を学び、若くして妻沼小学校の庶務掛から弥藤吾学校教員に抜擢され、明治19年(1886)には、弥藤吾村聠合戸長に就任している。明治22年(1889)に町村制により、妻沼村弥藤吾村組合の発足と同時に助役となり、明治30年(1897)に村長に就任している。明治43年(1910)の大洪水の際には、村民の窮乏を憂い、挺身奔走し救済にあたった。大正2年(1913)妻沼村との合併の機運が高まると、賛否半にして村議が決まらなかったが、指導力を発揮し、論議を収束させ、推されて初代町長となる。大正4年(1915)には、大我井神社の「福石由来之碑」の造立にあたり、撰文・書を行っている。大正6年(1917)病を得、61歳で逝去。
頌徳碑が、氷川神社境内に建てられている。

参考文献

  • 『妻沼町誌』昭和52年 妻沼町役場