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弥藤吾地内の弥下自治会館脇に建てられている地蔵尊を紹介します。 この地蔵尊は、享保7年(1722)1月24日に、弥藤吾村下宿の念仏講により建てられたものです。 台座には、延命地蔵経の経文「毎日晨朝入諸定 入諸地獄令離苦 無仏世界度衆生 今世後世能引導」が刻まれています。 意味は、「地蔵菩薩は、毎日早朝に諸々の定に入り、諸々の地獄に入って、衆生の苦を離れさしめ、仏無き世界に衆生を済度し、現生も来世もよく引導したもう」となります。 石工は、松井清兵衛清昌です。この石工は、18世紀前半に熊谷宿の中山道沿いに居を構えていた石工で、市内に20基余りの地蔵尊が確認されていますが、妻沼地域ではこの地蔵尊のみのようです。 ちなみに、この松井清兵衛が刻んだ樋春の「旧観音寺地蔵」は、平成9年に市指定有形文化財歴史資料に指定されています。
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