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                   明治維新後、日本は近代国家への道を急ぎました。時代の波は全国にあまねく及ぷことになります。学制の発布(明治5年、1872年)により教育制度が義務化され、寺小屋は学枚へ変っていきます。 
                   「江南」の名は今から百十数年前、現在の北小学校の前身であった江南学校に最も早く使われました。 
                   教育は有為の人材を育み、郷土の模範たる人間を育成する場所で。当時の指導者たちは、この学舎にふさわしい名を後進たる子孫へ想い込めて付けたようです。当時、一般教養とされた中国古典の知識が反映していると思います。 
                   「江」は荒川を意味します。太古より町の土地を形づくり、命の水としての恵みは今もはかり知れません。 
                   「南」は貴く希望に満ちた方角とされます。南は太陽が最も高く登り、陽の恵みをもっとも多く受けます。 
                   中国の故事にも、天子は南を向いて政治を行ったとあります。また、「図南の志」は大志をいだきこれに邁進することをいいます。中国の伝説によれば鵬(おおとり)は、北海に住んだ大魚でした。ある時巨大な鳥と化し、三千里の翼をひろげ、雄躍南へ飛びたったといいます。 
                   中国江南地方は、揚子江流域の肥よくで温暖な地方で、南京は王朝の首都となりました。 
                   もう一度、私たちの根っこを見つめ返し、明るく住み良い街づくりを進めましょう。 
                   日本から世界へ飛翔する町へそう願うのは先人の心を継ぐわたしたちの願いでもあります。 
                   
                     
                     荒川の南に広がる江南地区 
                     
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