「丸山」ーまるやまー |
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地名もそうですが地面の下のことは以外と判っていないようです。今回は地名とその由来と思われる地学の関係を紹介しましょう。
「丸山」の地名は、野原地区と塩地区にあります。野原は和田川に南面した台地上に象の背の様に丸味を帯びた地形をしています。塩は比企丘陵北縁中に発達した浸食谷に取り囲まれ、丸味を持った丘稜地形をしています。他地域の「丸山」の場所をみると、緩やかに丸味を持つ地形を望まれる場所であれば平坦地・台地・丘稜地内でも呼ぶ場合があります。由来については地形によるものと考えて大差ないようです。
では、地面の下はどうなっているのでしょうか。実際に地面を掘って調べることができた野原の例をみましょう。ここでは北西方向に地面のズレ、つまり断層が見つかりました。古代の地震跡です。断層のズレの大きさは約3メートル、大きな地震が起こったようです。地学の話になりますが、大陸を乗せるプレート同士が衝突し、歪みに耐えられなくなると反発を起こします。このエネルギーは地震を起し、火山活動を生みます。このような場所に日本列島は生れ、現在でもその活動が続いています。その証拠にあげられる地面の動いた跡として大小規模のズレ(断層)、曲り(しゅう曲)が日本の山・谷・川・平野などいたる所に見つけることができます。また、海に住んでいた魚や貝の化石が旧江南町でさえ見つかることも同様に地面が動いていることを物語っています。
野原では、地震跡と共に古代集落跡がみつかっています。奈良時代後期と平安時代中頃の二時期の集落跡ですが、平安時代中頃の方が発展した姿をしていました。奈良時代の竪穴住居跡は一軒のみですが、平面形が歪んでおり地震の影響を見ることができます。
平安時代中頃の竪穴住居跡・倉床倉庫・側柱建物は25棟分発掘されましたが、平面の歪みは認められませんでした。このことから地面のズレを起した地震は、奈良時代後半から平安時代中頃以前の間に特定できる可能性があります。平安時代初期・弘仁9年(818)に板東6ヶ国を中心として、大きな被害をもたらした地震があったと『類聚国史』に記録されています。地震の発生周期・被害規模の問題は、過去の地震を調べることによってある程度推測できるまでになっています。
大切なのは心配するばかりでなく、自然を、地震の特性を正しく知り、また正しく知るための調査を続け、非常時の備えをしておくことでしょう。
「天災は忘れた頃にやってくる」といわれますが、これはいつであるか特定できないけれども、周期的にやってくることを経験的に知った上での戒めと思います。参考「新編 埼玉県史・自然」他
野原地区丸山の航空写真
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