1996年8月に、野原にある文殊寺境内の発掘調査がありました(元境内遺跡第1次調査)。その時、多量の近世陶磁器に混じって、俵の土製品が1点出土しました(下写真1参照)。上部が欠損していましたが、僅かに足の痕跡が俵の上に残されていることから、大黒様が乗っていたことが推測されました。
また、市民の方から、蔵を整理するので農具・民具類を寄贈したいとの申し出があり、その中に、大黒様と恵比寿様が端部に印刻されている、30cm程の丸棒がありました(下写真2参照)。用途は不明なのですが、なんと、よく見るとそのマークは登録商標となっており、神様も登録商標にできるのかと驚いてしまいました。
そこで、今回は、大黒様のルーツと俵との関係について少し調べてみました。
大黒様は、元はマハーカーラというインド起源、つまりヒンドゥー教起源の神様で、
帝釈天(たいしゃくてん)・多門天(たもんてん)などと同様に仏教の天部に所属する仏とされています。
「孔雀王経」や「仁王経(「仁王護国般若波蜜多経」のことで、平安時代初期に中国より伝来:「七難を避けて七福を生ず」と書かれ、七福神信仰の由来となる)に見られるマハーカーラは、シャマシャナという死体を捨てる大森林み住む、死を司る恐怖の神様です。しかし、マハーカーラは
不老不死の秘薬を持っており、自分の血肉を与えると、それに応じてその秘薬
を分け与えてくれるという神様でもありました。しかし、その薬をもらうためにマハーカーラに接する人は、その支払いとして、その人の血や肉を代償としなければならなく、万一血や肉が適当でないと、たちどころにその者の生命を奪ってしまうという恐怖の神様でした。
さてこの恐怖の大黒様ですが、なぜか中国の南方の寺では、カマドの神様として台所に祀られていました。これを日本に伝えたのが、伝教大師こと最澄(さいちょう:767〜822年:天台宗の開祖)です。
大黒様は最初、?頭に袍(ほう:中国のジャケット風の上着)と袴(はかま)と沓(くつ)という姿でしたが、次第に日本化して、左肩に袋を負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵の上に座 って頭巾をかぶり、福々しさを出すために顔は大きく笑顔で福耳を持つ姿になりました。この頭巾がいわゆる大黒頭巾(円形で低く脇のふくれ出た形の頭巾)というもので、打出の小槌は古い時代の像では宝棒になっ
ていますが、現在でもこの小槌には如意宝珠の模様(桃に似た形)が描かれており、仏教への関わりをとどめています。
そして、日本に伝えられた後、日本に古 くからいる「だいこくさま」大国主命(おおくにぬしのみこと)との習合が起こりました。
これは「大黒」と「大国」という音が「ダイコク」と読める事、「稲葉の白兎伝説」で「大国様」が大きな袋をしょっている姿が、一般的に浸透していた事、両神様とも「福徳をもたらす神様」である事等から、だんだんと同一視されていき、同一の神様として信仰されるようになったと考えられています。
ちなみに、大黒様は七福神の一人ですが、七福神とは恵比寿、大黒、毘沙門、弁財、布袋、 福禄寿、寿老人の七神を指して言います。そして七神の出身構成はというと、大黒・毘沙門・ 弁財がインドの神様、布袋・福禄寿・寿老人が中国の神様、恵比寿のみが日本の神様とい う構成になります。今の言葉で言うと「神様のコラボレーション」です。この中でも特に恵比寿と大黒は福の神の代表として民間の信仰は厚く、しばしばこの二尊の木彫り像を縁起物として家内に置いたり、神社で招福のお守りとして売られていたりします。
江戸時代になると、大黒様も大黒舞(恵比寿舞と連れ立ち、正月などに祝言として、家々を回り身振りおかしく歌い舞ったもの。)と呼ばれる人たちが、大黒様の格好をして全国を回ったことから、庶民の間に大黒信仰が広まり、台所の神様から食物の神様、そして農耕神へと変化していったものと考えられています。つまり、米俵は、江戸時代になって、大黒様に五穀豊穣を願う信仰が付加され結びついたもので、日本独自のものと理解されます。
ところで大黒様のお使いはネズミとされています。これは大黒様が豊饒(ほうじょう)の神ということで、米
を食べるネズミを管理していると言われているからですが、或いは鼠が多産であることからとも考えられています。またある説では、大黒はその名の通り、黒であり、 黒は陰陽五行思想では北(子の方角)を指す(コラム2:五行配当表参照)ことから鼠が出てくるとも言われています。
最後に余談です。
この米俵、酒樽等とともによく神社に三角形状に積み上げられて奉納されているのを見かけます。頂点に1個、2段目に2個、3段目に3個、4段目に4個と積まれていますが、この形は、1(最初の数)+2(最初の偶数)+3(最初の奇数)+4(最初の平方数)=10となります。これに気づいた古代ギリシャのピタゴラス(BC582頃〜493頃)は、1+2+3+4の順に並ぶ十個の円の三角形の配列をテトラクティスと名づけて、宇宙を表すものとしました。1個の円は点、2個の円は線、3個は面、4個は空間を表すと考えました(数学でいうところの三角数。1の三角数は1、2の三角数は3、3の3角数は6、4の三角数は10・・・・となる)。そしてこの説が広まり、中世には、宇宙は10の数字で表され、半分の5は小宇宙としての人間を表すと言われるようになったとの事です(宮崎:1995)。