元境内遺跡第2次調査(4/4ページ) *画像をクリックすると拡大されます。 |
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R第11b号住居跡遺物出土状態 床面直上より形態の異なる土師器の坏(皿)が3点重なって出土しました。一番上は赤漆を、一番下は漆を黒色処理しています。 |
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S第11b号住居竃確認状況 住居の掘り込みが浅く、残存状況は良好とは言えませんが、竃の右左の袖にそれぞれ3個体の土器が竃の構築材として利用されています。いずれも口縁部を下にして設置されています。そして、中央には、支脚の上に据えられた上体のが確認できました。 竃に甕を掛けた状態で、住居が廃絶されたものと推測されます。 |
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21 第11b号住居跡竃 中央に立てられている小石が、竃に甕を掛けた時に火の当たりを調整した支脚。 この上に甕が乗った状態で確認されましたが、写真は、この甕を取り除いた状態のもの。 |
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22 第2号住居跡竃(古墳時代) 竃の両袖に甕を2基伏せて設置し、竃の構築材として利用しています。 煙道部の天井が、一部崩れずに残っていました。 |
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所 見:本遺跡の主体は、古墳時代鬼高式期であり、その遺構の分布密度から、100軒以上の竪穴住居跡が存在する大規模集落であると推定されます。和田川左岸に、該期の集落跡(元境内遺跡・諏訪脇遺跡・宮脇遺跡)が並び、踊る埴輪を出土した古墳群である「野原古墳群」をはさみ、さらに本田東台遺跡と続きます。 該期において急激に、熊谷市の和田川流域が開発されだした状況を良く表している遺跡の分布状況となっています。 また、本遺跡において、住居の竃の両袖には甕が伏せられている例が9割ほどあり、本遺跡の住居の構築手法の主流となっていることがうかがえます。しかし、住居の竃に甕を設置しない住居も僅かに存在している事から、その違いが何に起因するものなのかが、今後の検討課題として挙げられます。 |