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蜀山人(しょくさんじん:大田南畝(おおたなんぽ))(1749-1823)

文人・狂歌師。狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。南畝を中心にした狂歌師グループは、山手連(四方側)と称された。
名は覃(ふかし)。字は子耕、南畝は号である。通称、直次郎、のちに七左衛門と改める。別号、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人、巴人亭、風鈴山人、四方山人。
・熊谷の鎌倉町入口のうどん屋「角屋」に早朝訪れ注文すると、番頭に「こんな早くからうどんはない」と断られた。そこで、熊谷寺門前の方へ立ち去ろうとすると、この店の主人が「こんな朝早くからうどんを食べにくるのは余程好きな人に相違ないから呼び戻してだしてやれ」と言うので、番頭が店先に出て呼び戻したことを詠んだ歌。うどんの値段が二八の十六文であったのを、平敦盛の年齢十六歳に掛けて詠んでいる。
「おーいおーいと呼びもどし わづか二八のあつもりを 打つてだしたる熊谷の宿」


中山道に面して建てられていた今井旅館(絵葉書:大正~昭和初期)