竹井耕一郎(たけいこういちろう)(1868-■)
法学者、文人。竹井澹如の嫡男として、明治元年(1868)に生まれる。星溪と号す。
龍淵寺
「遥訪龍淵寺 晴郊殿閣崇 苔庭飜竹露 石陘響松風 煮菜歓情淡 対流観性空 山林多道昧 使我憶元公」
荒川漫興
「清江白石絶塵埃 水鳥翮々去又回 正是日斜風定後 魚兒無藪上棹来」
昭和9年に半生を振り返って詠んだ詩
「慣混思想久不帰 半生薄迹近爲磯 炙茫湖海閑鴎後 寒廊山川断雁飛 豪氣磨來剰詩骨 流年尽処掩禪扉 堂鐘敲起積陰譏 正是一陽萌發機」
![]() |
混濁した思想に翻弄され、本来の自分を失って久しい。
わが半生を振り返れば、納得できる足跡を残せなかった。
まるで浅瀬の磯にただ戯れていたようなものだ。
夏の盛り(青春・壮年時代)湖海において静かな鴎のように迷い、飛ぶこともなく後れをとった。
冬(中年・老年時代)の山川において、雁は悩みぬいたが、飛び立つことはなかった。
豪気を持って詩をかけば、冗長な骨格のない詩ばかりだ。
過ぎゆく年月は、結局、禅寺の扉を動かさず、静かに門を閉ざし自己満足で生きてきたようなものだ。
しかし、寺の鐘が、これまでの積陰の非難などの愁を振り払えば、まさしく良い方向にむかう始まりである。
参考資料
- 『熊谷市史』後編 昭和39年 熊谷市史編纂委員会