竹井怡亭(たけいいてい)(1853-1903)
政治家。上州赤岩村生まれ。本名道三。幼少より書を好み、東京に遊学し勉学に励み、業成ってアメリカに渡り学業を修める。帰国後竹井家六代信常の妹と結婚。明治8年熊谷駅戸長となる。明治12年第一回埼玉県議会議員となり、竹井澹如に押されて第一回県議会議長に就任する。その後実業界に入り、明治21年熊谷に帰り俳句一途に励む。明治23年第一回衆議院選挙に故郷の群馬県第二区より立候補し当選。明治35年石上寺の花塚建立を計画し、碑陰に「この花の 雫の末よ 隅田川」と刻む。
熊谷堤上櫻花盛時賦寄
「名花萬樹壓堤開 多謝當年君自栽 陰雨不妨風不妬 人穿香雪暖雲来」