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竹井澹如(たけいたんじょ)(1839-1912)

政治家、俳人。群馬県に生まれ、熊谷宿の本陣竹井家を継ぎ、竹井家の14代当主となる。慶応年間に鎌倉町に別邸である池停を設け、後年「星溪園」と名付けられた。政治に深く関心があり、地方実力者の養成に努め、中央政界の大隈重信、板垣退助、陸奥宗光らとも親交があり、陸奥宗光に働きかけて、熊谷県誕生に尽力した。教育面でも渋沢栄一らと協力し、育英事業にも貢献した。初代の県議会議長となり、産業・土木面でも大きな功績を残した。
また、俳人として、多景居幽谷と称し、中央の老鼠堂永機、春秋庵幹雄らと親交があった。明治19年には、内田朴山、押田文袋らと諮り、内田良大を熊谷に招聘し、俳句の研究結社を作った。

・石上寺の花塚び碑に刻まれた句。
「我や老ぬ 植しさくらも 二十年」

「花火散り 杜の灯一つ 残りけり」
「橋も川も 小さく見えて 今日の月」蛙聲2-2
「孫に墨 すらせて老の 筆始め」蛙聲2-2


石上寺の花塚の碑

参考文献

  • ・1907『蛙聲』第2巻第2号 蛙聲会
  • ・1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎

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