小林一茶(こばやしいっさ)(1763-1828)
俳人。本名は小林弥太郎。俳号を一茶。別号は圯橋、菊明、新羅坊、亜堂。庵号は二六庵、俳諧寺。信濃国柏原で中農の子として生まれる。15歳の時に方向のため江戸へ出て、やがて俳諧と出会い「一茶調と呼ばれる独自の排風を確立して、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の人例となった。
・寛政3年(1791)3月26日に江戸を発って、下総を巡り、4月18日に江戸に帰着するまでの20日間の紀行『寛政3年紀行』において、4月12日に熊谷を訪れ、医師の三浦玄正の家に泊り、熊谷寺を訪れ、直実と敦盛の墓を見て詠んだ句。
「陽炎や むつましげなる つかと塚」
戦前の絵葉書「熊谷直実公御墓及び外郭」