笠島庵春友(かさしまあんしゅんゆう)(1825-1898)
俳人。川越北野操六の三男で、鴻巣の宿屋鈴木家に入り、治兵衛と称した。
明治期、竹井澹如の池亭(現星溪園)において、内海良大(1834-1892)、押田文袋(1855-1933) 、四分一葉々(1863-1940)、内田朴山(1829-1892)らと、雅会が開れた際に、詠んだ句。
明治期、竹井澹如の池亭(現星溪園)において、内海良大(1834-1892)、押田文袋(1855-1933) 、四分一葉々(1863-1940)、内田朴山(1829-1892)らと、雅会が開れた際に、詠んだ句。
「かならずよ 此星川の 月もまた」
「蓮の 煙となりぬ 春の雨」
「春雨や 枯残りたる 夏の草」
「蓮の 煙となりぬ 春の雨」
「春雨や 枯残りたる 夏の草」
参考文献
- 1951年 『面白史話』 斎藤紫石