江口浩波(えぐちこうは)(1878-1965)
俳人。新潟県柏崎に生まれる。本名幸七。明治24年小学校を卒業すると、遠縁にあたる埼玉県秩父町の坂井材木店に小僧として住み込む。坂井家当主米五郎は文学に通じており、読み書き算盤、俳句の指導を受ける。明治43年、坂井材木店を退店し、深谷在新戒村の大海道家の娘たきと結婚し、熊谷町本町で薪炭商を開業する。
大正期から昭和初期にかけて、薪炭の御用聞の関係から得意先の田島屋旅館(田島一宿:1896-1973)、柿原絹物店(柿原一路:1888-1962)等と親しく出入りし、田島一宿の門に入り、新しい俳句への感化を受けた。一宿、一路の他に、当時親交の深かった句友に、清水紫紅(1877-1933)、中川迂呆(1861-1942)、吉田露文、島村一閑、福島秀峰、長谷川石郎、浅原鴨石等がいた。
「庭池の 小さくなりし 深雪かな」
「ひぐらしの 邸内廣く 歩きけり」
「出渋りの 妻をうなかし 衣更」
「大西瓜 おもりをつけて 冷しけり」
「門前を 流れ走れる 清水かな」
「稲架の 間に時雨をめたる 筑波かな」
「月の船 闇きところに 着きにけり」
「麦秋や 臼の上なる 置き手紙」
「ひぐらしの 邸内廣く 歩きけり」
「出渋りの 妻をうなかし 衣更」
「大西瓜 おもりをつけて 冷しけり」
「門前を 流れ走れる 清水かな」
「稲架の 間に時雨をめたる 筑波かな」
「月の船 闇きところに 着きにけり」
「麦秋や 臼の上なる 置き手紙」
参考文献
- 昭和29年『直線』 江口浩波