作品 |
名称 |
作者 |
場所 |
詳細 |
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坐像 |
木内 克
(1892-1977) |
熊谷市宮町二丁目47-1
(熊谷市役所前) |
1973年の市庁舎落成を記念して、埼玉県信用金庫が寄贈したもの。木内 克:明治25年(1892)水戸市生まれ。大正3年(1914)に朝倉文夫主催の彫塑塾入門し、2年後に文展に初入選する。昭和27年(1952)毎日新聞「現代日本美術展」受賞。昭和45年(1970)第1回中原悌二郎賞受賞。 |
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馬形埴輪 |
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熊谷市大麻生
(押切橋記念公園) |
埼玉県誕生120周年にあたる平成3年(1991)3月の、押切橋完成を記念して建てられたもの。東京国立博物館蔵の熊谷市上中条出土重要文化財「馬形埴輪」。 |
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燿 |
千野 茂
(1913-2002) |
熊谷市桜木町二丁目33-2
(熊谷市立図書館前) |
昭和53年10月に、熊谷ロータリークラブ創立25周年を記念して建てられたもの。裏面台座に会員88名の名前が記されている。 千野 茂:新潟県出身。昭和14年日本美術院研究所に入り、新海竹蔵に師事。17年院展に初入選。36年院展彫刻部解散にともない彫刻家集団S・A・Sを結成。39年国画会会員となる。51年東京芸大教授。56年長野市野外彫刻賞、57年中原悌二郎賞。静けさをたたえた人物像で知られた。
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躍動 |
清水多嘉示
(1897-1981) |
熊谷市宮町二丁目47-1
(熊谷市役所前) |
二人の少女が手を取り合いながら踊る姿は、繊細な感情と親しみやすい生命の躍動美が独自な力強さで表現されている。内に秘められている生動を探求し、その魅力がおのずから伝わってくる見事な作品。昭和58年4月5日設置。 |
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戦災者慰霊之女神像 |
北村西望
(1884-1987) |
熊谷市星川一丁目
(いこいの広場) |
昭和20年8月14日の熊谷空襲で亡くなった260名余りの犠牲者を追悼し平和を祈念するために、被災30周年を迎えた昭和50年8月に慰霊碑建立奉賛会により建てられたものです。 |
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新風 |
富永直樹
(1913-2006) |
熊谷市星川一丁目
(若者広場) |
高さ2m10cmの大作。日本芸術院賞を受賞。生気あふれる若者のかざす布は、まさに新風をはらみ、見上げる瞳は希望に輝いている。静と動が一体となって調和し、素直な美しさの中に若きロマンが刻み込まれている。昭和59年3月設置。 |
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レダ |
桜井祐一
(1914−1981) |
熊谷市星川一丁目
(太陽の広場) |
抑制のきいた緩やかな動きの中にまろやかな女性美を象徴的に捉え、しかも豊かな生命観があり、見ていると溢れる健康美と生命力とが一体となって満ち溢れている。中原悌二郎賞受賞。昭和57年3月27日設置。 |
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やすらぎ |
千野茂
(1913−2002) |
熊谷市星川二丁目
(緑の広場) |
見るからにおだやかで気品があり、静かな装いの中にくめどもつきない美しさが感じられる。少しも力まない自然さが内から静かに無限の力となって発散され、いつしかその情感のとりことなり、作者の円熟した着実な人柄がにじみ出ている。昭和57年3月27日設置。 |
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花園の歌 |
円鍔勝三
(1905-2003) |
熊谷市筑波二丁目
(星川広場) |
3人の女性が歌い奏でこの作品は、明るくのびやかで、軽快なうちに叙情とロマンが親しみと共感をもって受け止められる。既成なものにこだわらない自然で柔軟な発想でありながら、とくに見る人の心を打つのは日本人の心が満ちており、作者の内なる人格が感じられる。昭和58年4月5日設置。 |
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ふれあい |
菊地一雄
(1908-1985) |
熊谷市筑波三丁目
(ふれあい広場) |
少女が両手を後ろ髪に当て、軽やかに足を宙にうかせる姿は、静かで明るいやすらぎとふれあいの心がいつしか感じられる。それは、作品が自然なポーズで、打ちに深い味わいがこめられ、少女の優しさとみずみずしさによるもので、心にうるおいを与えてくれる秀品。1985年設置。 |
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清新 |
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熊谷市桜木町二丁目33-5
(熊谷市民体育館前) |
昭和42年10月、第22回国民体育大会を記念して、熊谷ロータリークラブが建立したもの。 |
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花の女神像 |
里見明正
(1912〜1974) |
熊谷市河原町二丁目173
(荒川公園内) |
昭和42年10月に、熊谷ロータリークラブ創立15周年を記念して建立したもの。 里見明正:明治45年(1912)に熊谷で生まれ、熊谷中学校(現熊谷高校)で大久保喜一に絵画を学び、卒業後は東京美術学校(現東京藝大)油絵科に入学。卒業後は第5回新文展で「鶏舎」が初入選で特選受賞するなど、中央画壇でその才能が認められ、里見特有のデフォルメされたフォルムの中に、伸びやかに走るタッチと、明るい色彩で数多くの作品を生み出し、"里見スタイル"を確立した。
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踊る埴輪 |
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熊谷市三本
(押切橋南公園) |
埼玉県誕生120年にあたる平成3年(1991)3月の押切橋完成を記念して建てられたもの。東京国立博物館蔵の熊谷市野原古墳出土「踊る埴輪」。 |
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水ひかる |
細野稔人
(1932〜) |
熊谷市小島157-1
(熊谷さくら運動公園) |
熊谷市制施行60周年を記念して平成6年3月5日に建立されたもの。細野稔人:新潟県生まれ。二紀展を中心に活躍する彫刻家。 |
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火星人ゲラ丸 |
小林晃一
(1957〜) |
熊谷市宮町二丁目39
(中央公園) |
玄武岩製。1988年熊谷野外彫刻展<大賞>作品。 小林晃一:埼玉県幸手市生まれ。1986年 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。石彫作家として、全国の公園、病院、市役所など数々のモニュメントを制作する。2000年初頭に、旅の傍ら、素焼きの一種、黒焼きと偶然に出会い、その素朴で原始的な力強さに魅了される。その後、自身でアトリエ内にレンガで窯を築き、黒幻焼を誕生させた。
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ラグビーボール |
BONZE STUDIO |
熊谷市筑波2丁目115
(熊谷駅北口) |
平成8年4月設置。大きなラグビーボールの上に少年が立つ。背面にゴールポスト。 |
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熊谷次郎直実 |
北村西望
(1884-1987) |
熊谷市筑波2-52
(熊谷駅前) |
渡辺華山の描いた直実挙扇図を元に制作したブロンズ像。馬上で、平敦盛を呼び止めようとする姿をあらわしている。昭和49年10月設置。 |
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朝つゆ |
鹿児島寿蔵 |
熊谷市立熊谷図書館 |
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山羊を飼う少女 |
里見明正 |
熊谷市立熊谷図書館 |
昭和43年 |
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蚕霊塔 |
新海竹蔵 |
万平公園内 旧荒川堤上 |
彫刻家新海竹蔵(1897-1968)の設計・製作によるもので、生糸生産のために使われた繭に対する慰霊のために、昭和36年(1961)3月28日の蚕糸祭日に、埼玉県蚕糸業協会により建てられ、平成10年(1996)に熊谷市に寄贈されました。 鉄筋コンクリートの円盤状の土台の上に花崗岩製六角柱を設置し、その上に2.1mの繭型塑像が乗せられています。コンクリート製の後背盤の左右には、「桑摘み」「繭掻き」をモチーフとしたレリーフがはめ込まれています。 この万平公園周辺は、竹井湛如(1839-1912)が桑園を開拓した地であり、東側には、平成10年(1998)まで「埼玉県繭検定所」があったことから、この地に慰霊塔が建設されました。 かつての「蚕都熊谷」を象徴する、歴史的・芸術的モニュメントです。 |
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かたらい |
圓鍔勝三 (えんつばかつぞう) |
熊谷市役所 1階ロビー |
この作品は等身大で、二人の少女が立ち姿で語り合っています。木彫独特の暖かさとロマンで文学性豊かな作風の中に、鋭い内面的追及があり、少女の純粋な美しさが良く表現されています。 圓鍔が、昭和44年(1969)改組第1回日展出品作で、昭和48年(1973)熊谷市庁舎落成を記念して、埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)から寄贈されたものです。 この他、圓鍔勝三の彫刻は、星川広場に「花園の歌」が設置さています。
圓鍔勝三(1905-2003)は、広島県出身の彫刻家。昭和3年(1928)上京し、日本美術学校彫刻科へ入学。同校在学中の昭和5年(1930)第11回帝展に「星陽」を出品して初入選。翌年の第12回帝展に「みのり」を出品して再び入選する。昭和7年(1932)「初夏」を第3回文展特選受賞。日本美術学校を卒業後、彫刻家の澤田政廣に師事。 戦後、昭和21年(1946)秋の第2回日展で木彫「砂浜」特選受賞。昭和22年(1947)多摩美術学校(現多摩美術大学)助教授、昭和25年(1950)多摩美術短期大学教授に就任する。同年、第6回日展に木彫「土器を持つ女」を出品して特選受賞。昭和28年(1953)多摩美術大学教授となる。 1960年、名前を勝三に改名。日展理事、日展常務理事、日本彫刻会理事長、日展顧問等に就任。昭和46年(1971)紺綬褒章受章。昭和51年(1976)勲三等瑞宝章受章。昭和63年(1988)文化勲章を受章。 |
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リボンを結ぶ少女 |
細野稔人 |
熊谷文化創造館 さくらめいと 入り口広場 (拾六間) |
この像は、細野稔人(1932-2024)作で、すらっとした少女のリボンを結ぶ姿が表されています。あどけない顔の表情と、動く手の空間の美しさ、全身が自然美をただよわせています。 細野稔人は、新潟県出身の彫刻家で、昭和51年(1976)第30回二紀展菊華賞受賞、平成3年(1991)第45回二紀展文部大臣賞受賞、平成9年(1997)埼玉文化賞受賞。二紀会委員、日本美術家連盟会員、埼玉県美術家協会参与を務め、美術の向上に努力しました。 |