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福崎正久は、明治18年(1885)東京芝二本榎町に生まれました。10歳の時、大阪の天野山金剛寺に入り得度し、25歳の時に幡羅郡長井村上須戸(現・熊谷市上須戸)の西光院住職となり、同村江波の宝蔵院、同村弁財の薬王院も兼務しました。 西光院では、前住の富田隆栄が私塾「金剛学舎」を明治30年(1897)に開き、高等小学校卒業以上の子弟を対象に、漢籍、数学、社会などを教授しました。明治43年(1910)隆栄の転住に伴い、正久が住職兼塾長となり、講義を行い、教育の振興に尽力しました。大正9年(1920)から11年(1922)にかけて、国が提唱した民力函養講演会の講師に選ばれて郡内各所で普及活動を行い、更に融和事業についても多大の功績を残しました。 昭和5年(1930)病のため46歳で逝去しました。 昭和9年(1934)、師の功績を伝えるため、同志により頌徳碑「内田福崎両君の碑」が旧長井村役場脇に造立されました。現在この碑は、江波の宝蔵院境内に移設されています。
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