不動明王 毘沙門天 多聞天 大黒天 地蔵 その他
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市内泰地区の泰小学校裏の道閑掘に掛かっていた橋の石碑です。橋名の陣屋の由来は不明です。 道閑掘は、利根川水系の排水路で、元は葛和田で利根川に注いでいましたが、利根川が増水すると排水が困難であったことから、大正期に行われた福川の改修に伴って、排水先が福川へと変更しました。現在この石碑付近の掘は埋め戻されており、堀があったことを示す唯一の資料となっています。 この道閑掘には、次のような話が伝わっています。 天喜5年(1057)源頼義が安倍貞任の討伐に東北へ赴く際、この地に立ち寄り、上須戸と日向の間にある龍海沼に大蛇が住み着いて村人が困っていることを聞き、島田大五郎道竿(しまだだいごろうみちたけ)に大蛇退治を命じました。しかし大蛇は深い沼に潜んでいてその姿を見ることもできません。そこで道竿は、利根川まで道竿掘を掘って、沼の水を利根川に流しました。やがて沼が干上がって、大蛇が姿を現すと、道竿は弓を射って大蛇を退治しました。源頼義は、大蛇退治を吉事として、大蛇の潜んでいたところから、東・西・北へ矢を放ち、その矢の落ちたところに八幡宮(現長井神社)を祀ったと伝えられています。
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