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記念碑

井田諄(しゅん)頌徳碑

井田諄頌徳碑(いだしゅんしょうとくひ)

市内弥藤吾氷川神社境内に建てられている井田 諄頌徳碑を紹介します。

この碑は、大正12年(1923)12月に建てられたもので、篆額は大里郡長秋葉保雄、撰文・書は観清寺住職薫無、石工は妻沼の原田忠吉です。

井田 諄は、安政4年(1857)1月22日、弥藤吾村新田に生まれ、雲巣と号しました。少年時代に奈良村の飯塚頤斎(いさい)に漢学を学び、若くして妻沼小学校の庶務掛から弥藤吾学校教員に抜擢され、明治19年(1886)には、弥藤吾村聠合戸長に就任しています。明治22年(1889)に町村制により、妻沼村弥藤吾村組合の発足と同時に助役となり、明治30年(1897)に村長に就任しています。明治43年(1910)の大洪水の際には、村民の窮乏を憂い、挺身奔走し救済にあたりました。大正2年(1913)、妻沼村との合併の機運が高まると、賛否半にして村議が決まらなかったが、指導力を発揮し、論議を収束させ、推されて初代町長となりました。大正6年(1917)病を得、61歳で逝去しています。

碑には「嗚呼丈夫 採鞅邑衙 郷閭成産 四隣移風」と漢詩が刻まれています。

所在地 弥藤吾(氷川神社境内)
種別 記念碑
造立年 大正12年(1923)