|
上奈良にある大夢先生墓碑(たいむせんせいぼひ)を紹介します。 大夢先生は、上奈良の代々農業を営む篠沢家に生まれ、本名則之、大夢と号しました。 子どもの頃より読書を好み、私塾を開き習字や漢学を教えました。和歌や漢詩もたしなみ、医術も行い、熊谷宿の蘭学医志村養庵とも交流がありました。嘉永元年(1848)没し、嘉永7年(1855)相続人甚平と門人によりこの碑が建てられました。 書は江戸後期の書家で、菱湖四天王の一人に数えられた中沢雪城、石工は江戸の名匠窪世祥で、寺門静軒が、7回忌に際し送った漢詩が刻まれています。 「出夢入夢莫物不夢骨也 出夢魂則入夢嗚呼先生復為何夢」 読み下すと「夢に出て夢に入りものになく、骨は夢みざるなり。魂は夢に出て、則ち夢に入りずれば、嗚呼先生また何の夢ならん」 夢でもいいから現れてという大夢先生を慕う内容となっています。
|
|||||||||||||||
大夢先生墓碑 先生性質直接人不設虚飾在任意不願毀譽盖 以夢視世也讀書自適教人不倦觸景感事吟 詠以楽焉嘉永紀元正月嬰病将草賦絶命辭 示門人曰春風秋雨一生中苦楽侵身孰不同 人世由来只是夢回頭萬事盡歸空投筆而逝 矣年五十餘葬先兆之次集福寺主贈法諡曰 瑞庭文雄居士先生諱則之字某姓篠澤師稱 外記号大夢武州上奈良村人家世農至先生 以儒為業兼醫善書配其氏三男一女某七年 正月嗣子甚平與門人某等謀碑于其墓友人 江戸静軒居士為之銘曰 出夢入夢莫物不夢骨也出夢魂則入夢鳴 呼先生復為何夢 嘉永七年歳在甲寅暮春 雪城澤俊郷書 窪世升鐫 |
|