記念碑
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下奈良にある東條芹水(とうじょうきすい)寿徳碑を紹介します。 この寿徳碑は、明治20年(1888)に建てられた、東條芹水(1824-1899)の業績を記したものです。 東條芹水は、本名直記。江戸時代から明治期にかけての教育者・俳人です。 文政7年(1824)、奈良村の円通寺住職東條舜清(とうじょうしゅんせい)の子として生まれ、妻沼の両宜塾の寺門静軒に学びました。25歳の頃、家職の修験を継ぐため大和の金峰山で業を積み、諸国を遍歴した後帰郷し、家職を継ぎました。そのかたわら、父舜清が開いていた私塾「北辰院」で子弟の教育にあたりました。 明治6年(1873)に金鑚神社祠官となり、同9年(1876)帰郷して家塾「麗沢学校」を開き、明治32年(1899)76歳で没しています。 詩歌に長じ、『芹水詩抄』『芹水俳句集』等を刊行しています。 この碑の撰文は、明治の三大文宗の三島毅(みしまたけし)、書は、明治の3筆の巌谷一六(いわやいちろく)、石工は、江戸で4代続いた名石工の井亀泉(せいきせん)で、当時の各界の一流どころによりつくられた石碑です。
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