記念碑
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妻沼の歓喜院境内(拝殿南、赤子稲荷神社付近)に建てられている欣然庵筆塚碑を紹介します。 この碑は、天保8年(1837)に建てられた森田欣然(もりたきんねん)の業績を記した筆塚です。 欣然は、天明元年(1781)一本木の田島善兵衛の二男に産まれ、幼少より市川米庵(いちかわべいあん)に書を学びました。西城の森田家に婿入りし、文政2年(1819)に私塾を開業し、書や俳諧を教え、天保8年(1837)に没しています。 撰文は昌平坂学問所塾長を勤めた佐藤坦、書・題額は幕末の3筆と称された市川米庵、石工は9代続いた江戸の名石工の廣群鶴(こうぐんかく)です。 書を学んでいた市川米庵との繋がりによるものと思われますが、そうそうたるメンバーにより、この石碑がつくられていることが判ります。 歓喜院にお立ち寄りの際には、ぜひご覧ください。
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欣然菴瘞筆銘并叙 江都一齋佐藤坦為文 米葊河三亥書并題額 武藏旛羅郡西城村有一農曰良隆字伯彛森田氏菴號欣然 性好臨池伎甞受法於河米葊冣以行草檀長為人敦篤爾雅 耕耨餘暇則覃思筆札古今真蹟法帖靡不臨撫時又遊戯詞 藻迨近載委産於子弟専従其所好毎興到輙先舉一太白随 即揮毫數十幀墨乾筆渇尚不肯休或値蟾葩佳辰亦手停一 觴托之諷咏趣瀟灑也既而遠近稍稍聞其名持䌭紙来丐者 踵接於戸不圖天嗇其齡以天保八年之夏故盖五十七歳矣 門人追慕不己胥謀将鳩其生所用大小退筆數百枚瘞之 於妻沼村歡喜天秪林内菅公祠之側土毛人率恒氏索碑文 於余乃叙梗槩係之以銘曰 屋鳥不驅棠樹不伐思慕其人愛及其物毫秃管敗今有何靈 既重伊人物亦匪輕瘞之靈壌樹䂖鎸銘物靡不朽不朽社名 天保八年龍集丁酉季秋下澣一日 廣群鶴鎸 鎸 |