記念碑
現在この碑は熊谷消防署妻沼分所の敷地内に建っています。かつてこの場所には妻沼中学校が所在していましたが現在は東中学校、西中学校に分かれ、その跡地に公園と消防署が作られています。 熊谷高校の定時制として妻沼分校が開校したのは昭和23年9月のことで、妻沼他6か村組合立として設置されました。設立の契機は吉岡分校と同様熊谷高校の定時制普通科で4か年の履修とされていました。当時の妻沼町と他の6か村一長井・秦・男沼・太田・奈良・別府の隣接する関係の深い村同士が協力しました。昭和20年代から30年代は100人を超える在籍がありましたが、40年代以降全日制への進学率が高まり生徒数は次第に減っていき昭和56年に閉校しました。延べ600人を超える卒業生を送り出しています。 妻沼分校・吉岡分校とも、終戦からの復興期にあっては、学習意欲を持ちながら経済的な事情などで全日制への進学を思いとどまるものが多かったため、定時制は向学心のある青少年にとって絶好の勉学の場でした。 ここに青春の一時を過ごした人たちもすでに老境にあると思いますが、この記念碑はこの分校から巣立った勤労青少年と教育関係者のゆるぎない顕彰碑となっています。 参考文献 『埼玉県教育史』『妻沼町誌』
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