碑文には奥原晴湖の事績が記され、薄井龍之による詩が刻まれています。「珠玉其貌 鐵石其腸 才思詠雪 節操如露 筆奪化工 名勝四方 今其往矣 萬身何償 蔚彼松柏 窀穸維康 勒銘貞珉 千古流芳」 大正4年1月に建てられたもので、篆額:従二位勲三等侯爵木戸孝正、撰:従四位勲三等薄井龍之、書:山内香溪。 木戸孝正(1857-1917)木戸孝允(桂小五郎)の養子。長州藩士・勤王派の来原良蔵の長男。旧名は来原彦太郎。明治7年アメリカ留学帰国後、帝国大学入学。同じくアメリカから帰国した平岡煕、大久保利和、牧野伸顕らとアメリカで知ったベースボールを持ち込み、日本最初のクラブチーム「新橋アスレチッククラブを作った。 薄井 龍之(1829 - 1916年):幕末の志士、判事。通称は督太郎。字は飛虹、号は小蓮 。明治維新後は岩倉具視の知遇を得て、開拓使監事、山形県参事、東京裁判所判事、名古屋裁判所長、秋田裁判所長などをつとめた。 山内香溪(1841-1923):書家。会津藩士。幼名数馬、名は昇、字は子龍、香溪・破研斎と号した。上京して山内香雪にその才を認められ、養嗣子・香雪の後継者となる。
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