「鐘楼に 新藁つみて にぎはしき み冬とぞ思ふ 上之のみ寺」 昭和51年、寿蔵を熊谷に招いた棚沢慶治が発起人となって建てられたものです。 鹿児島寿蔵(1898-1982):人形作家・歌人。福岡市生まれ。有岡米次郎に博多人形製作を学ぶ。1932年紙塑人形を創始、1933年日本紙塑藝術研究所を開き、1934年人形美術団体甲戌会を結成。アララギ派の歌人でもあり、島木赤彦・土屋文明に師事し、1945年短歌雑誌『潮汐』を創刊する。1961年紙塑人形の人間国宝となる。昭和20年東京田端の自宅が空襲で焼失し、熊谷在住のアララギの歌人・棚沢慶治の計らいで、市内上之に疎開し、7年間居住した。その後、昭和55年に熊谷を訪れ、星渓園で「熊谷草」の歌を詠む。
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