本碑は、明治14年に察源の門弟50有余人により、師の徳を慕い建立されたものです。撰文は弟子の北條察明、書は市島克、題額は高橋精一。 本碑の裏の塚上には、弟子の北條察明の碑が、西側には、鴨田鵬斎書の庚申塔が建てられています。 北條察源(1831-1979):僧、教育者。号を月川と称す。埼玉郡下新田村(現羽生市)に生まれる。天保9年酒巻村の慶巌寺に入り得度。後、館林の善導寺で修業し、安政5年慶巌寺の住職となる。文久3年には市内葛和田の大龍寺二十五代の住職として入寺。「行餘書院」を開設し近隣の子弟に漢学、詩文、書道の指導を行う。
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