記念碑
本碑は、大正6年4月に、門弟190有余により師の徳を慕い建てられてたものです。書は倉田茂夫、撰文は林泰輔。 本碑の前には、北条察源の筆塚碑が建てられています。 北條察明(1849-1966):僧、教育者。上州館林藩士の家に周一として生まれ、市内葛和田の大龍寺に預けられ得度し、察明と改名。年少より学を好み、師の北條察源について学を修め、儒医の田村盧庵について漢籍を学ぶ。明治7年葛和田学校開校と同時に四級訓導に補され教鞭をとる。明治12年師の北條察源が没したため「行餘書院」を継承して子弟の教育にあたる。門弟総数は数百人に及ぶ。 林泰輔(1854-1922):漢学者。号は進斎。東京高等師範学校教授を務め、著書『周公と其時代』で学士院恩賜賞を受賞、『亀甲獣骨文字』の刊行で日本の甲骨学の先駆者となる。その甲骨文の研究は羅振玉にも影響を与え、甲骨学の大成に貢献した。
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