碑面には、「奉納 西国 坂東 神社 四国 秩父 仏閣 供養塔 九十翁愚禅」と刻まれています。造立は、天保11年(1840)。 この他市内には、愚禅和尚の書による石碑は、広瀬地内の馬頭観音、久下地内の馬頭観音等があります。 愚禅和尚(1733-1829):比企郡羽尾村の須沢家の養子になり、近くの興長禅寺の癡天愚(ちてんぐ)和尚により剃髪後、延享3年(1746)長州功山寺に赴き修行。宝暦11年(1761)武州忍領龍光禅廓会首職、翌12年(1762)には村に戻り興長寺20世住職となる。寛政元年(1789)大乗寺43世貫主に推戴された後、文化5年(1808)熊谷宿原島の福王寺を開基し、「観音構式」の校訂や「仏道事引草序」の著述を行う。板石塔婆や石塔、山門碑など各地に多くの筆跡を残している。
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