永井太田地内に、春山没年の翌年(明治30年)に弟子達によって建てられた「画伯荻原春山翁碑」 荻原春山は、江戸末期の郷土画家で、本名千代吉。清泉斉春山と号し、道能、白梅軒とも称しました。永井太田村に生まれ、9歳のとき能護寺住職鳳旭師に画の手ほどきを受け、次いで、中条の樋口春翠(1792-1856)や狩野洞章らに師事して本格的に画道に精進したが、天保9年(1838)父の死により画筆を捨てて家業に励みました。嘉永3年(1850)家を弟信有に譲って江戸に学び、諸国を遊歴の後、宅地内に隠居所を構えて、画の道に専念しました。明治15年東京で開かれた第1回内国絵画共進会に埼玉県の画人として、「神宮皇后像」等を出品し、続いて、明治17年の第2回内国絵画共進会に出品して埼玉画人の名を高めました。
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