記念碑
本碑は、昭和16年(1941)1月1日に、佐谷田村が 熊谷市へ編入されたことを記念して建てられたものです。高306.0cm、幅135.0cm。 佐谷田村は、明治22年(1889)4月1日に、 町村制施行により、大里郡佐谷田村および北埼玉郡戸出村、平戸村が合併し成立しました。 碑文には「熊谷市域に編入し村を挙げて熊谷市民たるに決せり我等村民は自今新たなる熊谷市民として大なる希望と覚悟とを以て奮励努力国運の進展に寄興せんことを期す茲に其概要を記して後日の記念となす」と刻まれています。 題額:土岐銀次郎 撰:瀬山具三郎 書:東海 舞原譔一 土岐銀次郎:(1894-1976)和歌山県出身。内務省に入省し岡山県属となる。以後、東京府属、内務属、栃木県河内郡長、岐阜県理事官、東京府理事官、帝都復興院事務官、静岡県学務部長、愛知県書記官・学務部長、三重県書記官・警察部長、復興局書記官、復興事務局書記官、山梨県書記官、山形県書記官・内務部長、大阪府部長・総務部長などを歴任。昭和13年(1938)4月、埼玉県知事に転任。戦時下の対応や、水害の復旧などに尽力し、昭和16年(1941)1月、知事を退任。 舞原譔一:(1883-1953)秦村(現熊谷市)出身。奥原晴湖門人。舞原家は画家3代続いた家で、祖父耕雲は寺門静軒(1796-1868)に師事、書を中村雪城、画を山崎薫■に学ぶ。父松潭は、画を耕雲、書を巷菱潭に学び、奥原静湖と親交を結ぶ。諶一は、幼少より奥原静湖の教えを受け晴雲と号したが、静湖が晩年になって「東海」の号に飽きたといわれるのを聞き、許しを得て舞原東海と改める。その後東海は、実業界に入り、熊谷製糸の常務取締役、秦村村長、信用組合長等の要職に就き、余暇を書画の道に親しんだ。
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