本碑は、昭和16年(1941)4月10日に玉井村が熊谷市に編入して消滅したことを記念して建てられたものです。高327.7cm、幅:255.0cm。 玉井村は、明治22年(1889)4月1日に町村制施行に伴い、玉井村・久保島村・新堀村・高柳村が合併し成立しました。 碑文には「玉井村民タリシ者ハ今後熊谷市民トシテノ矜持ト覚悟トヲ新ニシ大ニシテハ国家社会ノ発展ニ貢献シ小ニシテハ地方自治ノ進運ニ寄興シ以テ合併ノ意義明徴ニ力ヲ致ササルヘカラス」と刻まれています。 題額:林 有章 撰:石坂養平 書:浅見藤八 林 有章:(1859-1945) 俳人。通称勘兵衛、如菊とも称し、晩年は桜雲道人とも号した。書に秀で、碑文・篆刻など100碑余りがある。明治16年(1883)、荒川堤上に桜樹を植栽する発起人総代となり、吉野桜を植樹。現在の熊谷桜堤の基礎を作った。 石坂養平:(1885-1969) 奈良村出身の文芸評論家・政治家。大正4年(1915)の「芸術と哲学との間」で注目され、「文章世界」などに執筆。一方政界に進出し、昭和3年(1928)衆議院議員(当選4回,日本進歩党)、戦後は埼玉県公安委員長、埼玉県文化財保護審議委員、埼玉県文化団体連合会長などの要職に就く。 浅見藤八:熊谷市商業学校教諭
|
|